人魚の涙

――しずくがひとつ、落ちた。またたきの間も待たず落下するそれは、たちまち虹色がかった乳白色の球形に固まり、ジェイドの手のひらに転がる。「人魚の涙が真珠になるって本当ですか」とある後輩はジェイドに尋ねた。半分は本当だ、人魚の涙は真珠になる。半分は偽りだ、けれどもそれは真珠ではない。人魚の涙とは真珠のまがいもの、不確かな薬効を秘めた魔法素材、あるいは人間の間で一人歩きする伝説。より手頃で薬効が確かな素材なんていくらでもあるのに、人魚の涙に魅せられる人間は後を絶たない。ああなんておかしなことだろうとジェイドは思う、人魚に幻想を抱けた時代は終わったはずなのに。人魚の実在さえ疑問視されていた時代は既に過ぎた、今や海溝の底まで人間の探査機が泳ぎ、人魚は陸に上がって人間と契りを交わす。人魚と人間の距離はぐんと縮まり、人魚への勝手な思い込みは改められつつある。それでもまだ、人間は過去のロマンの残滓に魅せられて、人魚に幻想を投影する――ほらまたひとり、人間がこちらをのぞきこむ。「人魚の涙は恋の妙薬だって、本当ですか」夢見るような表情に、ジェイドは口端を吊り上げた。海はいつだって、その神秘に心を奪われた人間を飲み込んできた。「おや、ご興味がおありでしたら、アズールに相談されてはいかがでしょうか?」そうして人間は海の怪物の餌となる。そうしてジェイドは人魚の涙を落とす。ああ、なんておかしなことだろう、これが恋の妙薬になるだなんて! すべてのものが明らかになりつつある現在、人魚の涙が固化する条件も解明された。貝の真珠は内に入った異物から生み出される、ならば人魚の真珠は、何の異物に反応して生み出されるのか? ――この依頼を投げてきた相手を思う。絶対に叶うことのない恋を思う。そうしてまたひとつ、しずくが落ちる。なんて皮肉だろう、恋の成就は今でも人魚の苦手事だ。