感傷の畑

『ねえ、ガルゾ。やっぱり恋をしなきゃだよ!』

ノアベルトのことをよく覚えている。

あの魔物のことが、ガルゾは好きだった。
それは別に色恋めいた意味ではなくて、ただあの魔物はいつだって人の懐に入り込むのがうまいのだ。
持ってくる騒動にうんざりすることも多かったが、いつのまにか絆され、どうしてか気にかけてしまう。
いつだってそうだった。
まさに自然と日常に馴染んでしまう、塩のような魔物だった。

 

その塩の魔物が、ウィームの歌乞いに恋をしたという。
その歌乞いは、別の人間と婚約をしたという。
そのウィームは戦争で燃え、その歌乞いも炎の中で死んだという。

世界の反対側でその話を耳にしたときには、すべてはとっくの昔に終わっていて、ノアベルトがチェスカに、ガルゾの店に現れることは二度となかった。

ただ、よくない噂だけを耳にする。

人間が大嫌いで、子供さえも陰惨に殺すという。
戦勝国のヴェルリアにいくつも呪いをかけ、気紛れに近隣の紛争に介入して回っているという。
偏屈で皮肉屋の、恐ろしい塩の魔物。

(あの、ノアベルトが?)

彼はいつだって陽気に笑っていた。
いつだって輪の中心にいて、いつだって誰かと恋をしていた。
種族も気性も頓着せずに見境なく恋をして、色恋沙汰で相手を殺してしまうことはあれど、決してその種の、一定層の魔物にありがちな趣味の悪い遊びに興じる魔物ではなかった。

とはいえ彼は魔物なのだ。
ガルゾに見せていた面だけが、ガルゾが見ていた面だけが、あの魔物の性質だというわけではなかったのだろう。

(ノアベルトが、本当の恋をした)

己を変えてしまうような、そんな恋を。
お相手は恐らく、あのときの迷い子のお嬢さんなのだろう。
確かにあのとき、彼は見慣れない色を瞳に映していたような気がする。
それでもそれはガルゾにとっては、言われればそうかもしれないという程度のものでしかなかった。

(あの魔物も、そういうふうに恋をできたのだ)

そのことにも、驚かなかったと言えば嘘になるけれど。

 

『お前さんなあ。いい加減、あちこち遊び回るのはやめて、身を固めたらどうだ?』
『ガルゾ、そうは言うけれどさ、だってみんな魅力的なんだよ』

そう瞳を潤ませて、机に突っ伏したノアベルトに嘆息したのは、いつのことだっただろう。
もうとうに昔のことのように思える。

彼はそろそろ落ち着くべきだ。
あちこちに気移りするのをやめて、いい加減ひとつのものをきちんと愛するべきだ。
ガルゾはずっとそう思っていたし、よくそう苦言を呈していた。
それでも、今となっては思う。

彼はあのとき恋をしなければ、今も軽薄な魔物のままでいられたのに。
本物の恋を取り逃がさずに、あるいはそんなものに気づかずにすんだのに。

 

誰もいない閉店後の店で、ガルゾは酒瓶を傾けた。

塩の魔物がいなくなって、ここは随分と静かになった気がした。
チェスカには戦火の匂いもなく、今日もラベンダー畑には感傷の雨が降り続けている。

 

 

その物悲しい夜から100年後、チェスカのラベンダー畑は戦乱で燃えた。
あの美しい感傷の畑は、もうどこにも残ってはいない。