日課

清涼な朝だった。
外の海は既に明るく、横のウツボはまだすやすやと寝ている。
アズールは伸びをして、上体を起こした。予定起床時刻より少しばかり早いが、寝直す気にはなれなかったので。
机の上に置かれていた新聞を、魔法で引き寄せる。某大国の大手経済紙のそれは、どこであろうとも対象者が指定した場所に配達される魔法仕掛けの定期刊行物で、ここ最近のアズールは毎朝その新聞を読んでいた。
ざっと見出しに目を通して、興味のある記事だけ拾い上げる。某大手の株価が急落。某企業が新製品を発表。昨今の社会情勢が経済にもたらす影響。某企業の経営戦略と注目すべき点。ふむふむ。なるほど。
なかなかに興味深く読んでいた記事の途中で、ふと濃い影が差す。いつのまにか起き上がったらしいジェイドが、背後からアズールを抱き込むように腕を回して、右上から覗き込んでいる。アズールは抗議の声を上げた。朝の読み物の途中で自然光を遮られるのは致命的だ。
「おい」
「クッションはお嫌いですか?」
はあ? と素っ頓狂な声を上げかけたところで、ますます固く抱きすくめられた。ちょうどいいところだったのに、と思いながらも、顔を上げて見返す。とろんとした目がこちらをじっと見ている。
「おはようございます、ジェイド」
「おはようございます、アズール。面白いニュースはありましたか?」
物言いだけはいつも通りだが、声は寝起きを隠しきれていない。この男は陸の朝には弱い。特にこういうふうに、アズールに心ゆくまで甘やかされて、もろもろの仮面を剥ぎ取られた翌朝には。
「今ちょうど、読みかけだった記事がお前の影で読めなくなったところです」
「おや。それは失礼しました」
のそりとジェイドは拘束をゆるめた。すぐそこにあった頭が離れていく気配がする。よろしい。と思ったところで、もぞもぞとまた抱き込められて、影が落ちない反対の左側から覗きこまれた。そうじゃない。確かに文字は読みやすくなったが。
「なんですか、この体勢」
「お嫌いですか?」
「嫌いというか……」
不本意な体勢ではある。慣れない体勢でもある。耳元がジェイドの吐息でざわざわするし、触れ合っている肌同士の熱が伝わって、どうにもいけない気持ちになる。
抱え込まれたまま、思う。たぶん構ってほしいのだ。あるいは、単純に人肌寂しいのだろう。ちょうど今は涼しくなってきた季節であることだし。
最近のジェイドは、こういう肌を触れ合わせるような距離感に遠慮しなくなった。その代わり、アズールの日課を邪魔することなく、ただじっと見守っているのが、なんとなくいじらしい。これをいじらしいと感じるようになったアズールも、なかなか絆されているのかもしれないが。
陸の人懐っこい生き物のように、ジェイドが頬をアズールの首元に擦り付ける。くすぐったい。そのまま肩口に顔をうずめられて、徐々に左肩にのしかかる重みが増していく。
「おい、そこで寝るな」
「寝てません……」
そう反論する声は、もろに眠気を帯びている。全く。警戒心の強いウツボがこれでいいのだろうか。
ああもう、全く集中できなくなった。
手元の新聞を乱雑に放り投げ、背後の男を一気に押し倒す。隙だらけだった熊男は、簡単に押し倒されてくれた。
「おや」
ジェイドは目をぱちくりとさせて、ふんわりと笑った。
「怒らせてしまいました?」
「まさか! ところでお前、僕がなんのためにベッドから出なかったか知ってますか?」
朝お前に真っ先に口づけしてやるためですよ、と囁いて、満足そうに微笑むその唇に甘く噛みついた。