0th day – the star, the brightest burning star, fell from the sky and into my hands –
「ところでジェイド、お前、僕のことが好きなんですね」
「…………は」
今日やるべきことはすべて終わり、さてVIPルームから退出しようと扉に踵を向けたそのとき、アズールから投げかけられたのはそんな言葉だった。
それがあまりにも不意打ちのような言葉だったものだから、ジェイドは数秒、反応が遅れた。ややあってアズールの方に顔を――全く向けたくはなかったが――向けると、彼は何故か納得したかのような顔をしていた。瞬間、対応を間違えたことを悟る。
「……ああ、その反応は本当なんですね」
「……あの、いえ、そういうわけでは、アズール」
世界が終わる、とはこのことだろう。反応を間違えた――激しい動揺と、苦すぎる後悔がジェイドを襲った。あそこで反応に間を開けてはならなかった。あのときアズールの問いを受けて「何のことでしょうか?」と困ったように微笑む、これが最適解だったのではないか――そう脳内は高速で分析を進めるも、現状には何の役にも立たない。
そもそも誰なのだ、そんなことをアズールに吹き込んだのは。フロイドか、寮生の誰かか、あるいは全く別の人物か。いずれにせよ、このあとすぐお話をしにいかねばなるまい。
「あのアズール、全くそういうわけではないのですが、どこからそんな戯言を?」
「お前が昨日言ってきたんですよ」
「…………」
そんなことがあるだろうか。
本日2度目の絶望に立たされたジェイドは、必死に昨日の記憶を辿っていた。
昨日は授業もシフトも休みだったから、山を愛する会の活動に一日中没頭していた。学園の周りの山の、あまり探索したことがなかった場所の、初めて訪れた立派なシナノキの根元で、初めて実物を目にしたキノコを見つけて、喜び勇んで採取したことを覚えている。学園に帰ったところでちょうど出くわしたフロイドにすごく嫌な顔をされて、寮には持ち込まないでよ、と強く言われたことも覚えている。仕方がないから魔法薬学室に行って、そのキノコに軽く火を通して口に運んで――随分と面白い効能のキノコだったのでいろいろとメモをして――それだけだ。特にアズールと会った記憶もない――が、さてはて、そういえば自分はいつどうやって寮に帰ったのだろう。
「……僕の記憶には、全くこれっぽっちも、ないのですが……」
「……なるほど。お前、昨日キノコを食べていたでしょう。その影響なんでしょうね」
だからホイホイと得体の知れないものを口にしないように言ったでしょう、と呆れたように忠告するアズールの言葉が右から左へと通りすぎる。最悪だ。ジェイドはこのときばかりは自分のキノコ趣味を恨んだ。アズールにだけはこの弱みを掴ませてはならなかったのに。
(確かに僕は、アズールのことが好きだ)
好きだ。でも、好きだ、とだけ言い切るには、この感情は重く辛い。
その重く辛いものを、重く辛いままに自分の中だけで愛おしんでいたのに、なぜその感情の蓋をアズールに開けられて覗き込まれる事態になってしまっているのか。
「……アズール、仮にそれが本当に起こったことだとしてもですよ、」
「いや、本当に起こったことなんだが」
「それは、キノコの影響を受けた僕が言ったたわいない妄言です。僕の本心というわけではありませんから、全くお気になさらないでください」
アズールはそこで首を傾げた。
「……では、ジェイドは僕のことが好きではないと」
「…………いえ、確かに好きですが…………」
「ほら。つまり本心なんじゃないか」
何も言い返せない。ジェイドは本日3度目の絶望を迎えた。何故だ。何故アズールにこんなにも追い詰められているのか。こんな、商売のことしか頭になくて、人の秘密を暴いて優位に立つのが大好きな人魚に。そんな人魚だからか。自分たちと相対する小魚たちはこんな気分なのだろうか、とふと深めたくなかった理解を深める。
「……アズール、貴方は、仮にそれが僕の本心だったとして、それをここで暴いて、僕をどうしたいのですか」
声音を慎重に抑えはしたが、それでも発した言葉が、焦りと苛立ちを含んだものになったことを自覚した。そうだ、確かに自分がそんな感情をアズールに向けていたことは確かだが、こんなふうに、自分の最も個人的な領域に属する感情を、ただのなんでもないことのように暴かれるいわれはない。それでももちろん、これはアズールにもかかわることではあるのだし、理解できない、気持ち悪い、やめてくれと言われればそれまでではあるのだけれど――そうなった場合、アズールはこのままジェイドを手元に置いてくれるのだろうか、と考えて、背びれのあたりがぞっと冷える。
「どうしたいって、確認ですよ。それから、……まあ、下心込みです」
あくまでも冷静で事務的なアズールのその声に、ふと思考が引き戻された。したごころ、とは。そのとき自分が息を詰めていたことに気づいて、す、と意識的に息を吸う。アズールの瞳を慎重にうかがう――確かにそこには、純粋に不思議そうな色もあった。だがそれ以上に、そこにあるのはきらきらとした高揚だ。……高揚? はてさて、アズールが高揚するような要素があっただろうか。もしかして、と思考が何かの可能性を弾き出しそうになったところで、アズールがとうとうと話し始めた。
「最近、時期柄もあって恋愛関係の相談が増えてきたでしょう。実績も、現時点では順調に増やせてはいますが、……このままだと、きっとどこかで行き詰まります」
「……はあ」
「そもそも今まで受けた恋愛絡みの依頼は、ある程度焦点が絞られたものだったんです。綺麗になりたいから肌に合った美容液が欲しい、プロポーズのために有名レストランの特等席をとってほしい、惚れ薬や忘却薬がほしい……ですがこのままでは、依頼される方々の本当の需要、真なる問題解決までを見越した商品が提供できている、とはとても言えません」
アズールは力強く語る。その瞳は強い意志と新たな商売欲に満ちあふれている。
「ずっと思っていました。僕たちが今の段階から一歩進んで、さらなる価値をお客様に提供するためには、どこかで今までのやり方からの脱却が必要だ。そのためには、」
「……顧客の本当の望みを先取りして、顧客にそのことに気づかせ、それを実現するためのプランを提示する必要があると」
「ええ、ええ。その通りです!」
ふふん、とでも言いたげなアズールのその様子に、ジェイドは毒牙を抜かれた。全くもって普段通りのアズールだ。貴方のそういうところが僕は好きです。好きですが、今とても困っています。
「まあもちろん、そのお客様が払えそうな対価次第ではありますが。……ただ、そのためのノウハウや経験が、こちらに全くないことが問題でした」
アズールはそこで一度息をついて、肩をすくめる。
「僕はそもそも、いまいち恋愛というものはよく分からなかったんです。お前も一緒にいたでしょう、恋愛映画を見たり、流行りの恋愛小説を読んだりもしましたが、あまりピンときませんでした」
そういえば最近、3人で恋愛映画を一緒に見た記憶がある。面白かったですね、あれ。陸の恋愛模様って滑稽で。
「ですから、恋愛とはそもそも何か、というそこからつまづいていたわけです。それが、身近に恋をしている人魚がいたとは!」
ああなるほど、そうつながるわけなんですね。貴方が大層上機嫌で、大層興奮なさっていることに、今納得しました。誰か助けてください。
この分では根掘り葉掘り、好きな相手つまりはアズールに、恋愛とは何かについてヒアリングを受けるのだろう。そしてそれを、有能な片腕としての振る舞いを盾にされてはジェイドは拒否できない。なんということだろう。地獄のような予感にジェイドは身をこわばらせた。
というよりもだ。
「……アズール。前提の確認なのですが、貴方は、僕が、……恋愛感情を貴方に向けていることは、嫌ではないのですか?」
「ええ。昨日僕もそれを考えてはみたんですが、特に嫌ではありません」
「え…………」
それはいったい、どういう意味なのか。絶対にそういう意味ではないだろうけれど、ならばどういう意味なのか。荒れ狂う混乱の淵に立たされたジェイドは、何の言葉も告げることができなかった。今日は絶句ばかりしている気がする。
そして、残酷なアズールは残酷に首を傾げた。
「それで思ったんですが、お前、別に僕となにをしたいとかは言ったことがないですよね」
「…………なにをしたい、とは」
「よくあるのは、恋人になりたいとか、もっと先に進みたいとか、そもそも相手に意識してもらうためにはどうしたらいいか、とかでしょうか。ああ、ジェイドも、それを試している最中だったんですか?」
「…………いいえ。全く。貴方は、そういうものを望まないでしょう?」
「なんだよ」
アズールはむ、としたように告げるが、どこにむ、とする要素があったのか、ジェイドには分からない。
「僕は、よりよい商売のためならば、お前と付き合うこともやぶさかではありません。というよりむしろ、付き合ってみたいのですが」
「…………」
絶句。
恋愛ってそういうものではないでしょうとか、貴方は僕と付き合えるっていうんですかとか、なんでそんなに乗り気なんですかとか、ああ所詮商売のためなんですね、大変貴方らしいですねとか、ありとあらゆる言葉がジェイドの脳内を吹き荒れていたけれど、何一つ口に出すことはできなかった。恐らく今声を出したら、アズールに悟られたくない感情まで声に乗ってしまうだろうから。大変今更かもしれないが。
口を開けて固まったジェイドを見たアズールが、付け加えるように言う。
「まあ、お前がどうしたいかではありますけどね」
「はあ」
どうしてそこでわざわざジェイドの意向を気にするのか。むしろそこは、そちらで命令してもらえた方が、こちらとしてはよかったのに――とそこまで考えて、なかなかずるい思考を自分がしていることに気づく。
「……僕は、」
唇はカサカサに乾いていて、思わず舌で舐める。
のちのち後悔する理由ならばたくさんあった。
でもそんなの、もう2度と訪れないだろう好機を目の前にしてうなずかない理由にはならなかった。
そして何より、当のアズールがこれを望んでいるのだ――それはこの進めていいかも分からない関係性を進めてしまうことの大義名分でもあり、ジェイドにとっては前に進むための逃げ道でもあった。
「僕は、貴方が望むのでしたら」
そのかなりずるい返答が、ジェイドの精一杯だった。アズールが満足げに笑ってうなずいて、ああ、もう後戻りできないな、とジェイドは思う。
「では、契約成立としましょう。ジェイド、契約書にサインを。……僕にいろいろ教えてくださいね?」
その瞳の中に強く輝く星が見えて、ジェイドは息を飲んだ。
こうして、ジェイドが一番恋焦がれていて、絶対に手に入らないと思っていた星は、ジェイドの理解が追いつかないままその手の中に落ちてきた。