星の運命を追って

51111文字

2024/07/28刊(以下)の再録です。 https://www.pixiv.net/artworks/120825244 アスター所長中心小説本(CPなし)。 宇宙ステーション「ヘルタ」で、並行世界(?)を巡ってわちゃわちゃする話。

[chapter:目次]
<画像>

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[chapter:*prologue/ 宇宙ステーション「ヘルタ」]

 宇宙ステーション「ヘルタ」は、惑星ブルーの上空で第一宇宙速度を保ちながら、上空を回り続けている。

 銀河各地からのミス・ヘルタの収集品「奇物」が収容され、その奇物を管理・研究する多くのスタッフ達も生活する場所。
 数千もの奇物にはそれぞれ秘密を持ち、常に危険を潜ませている。
 その危険の横で、スタッフ達は宇宙ステーションの秩序を保っている。恒星の周りに集まる無数の惑星や小惑星のように。
 星々が見守る中、「ヘルタ」のスタッフ達は知恵の論争を繰り広げ、一方で自由な日常生活を送っている。

 今日も宇宙ステーションに、新たな奇物が運び込まれた。
「所長、新しくミス・ヘルタの収集品が到着しました」
「ええ、連絡は受けているわ。……はい、問題なし。収容に回して」
 所長の承認、検査を経て、奇物は適切な区画に収容されていく。いつも通りのことだ。

 今日も宇宙ステーション「ヘルタ」は、数千もの秘密と危険を抱えたまま、静かにブルーの上空で軌道を描いている。

 その「ヘルタ」の中で、ひとり——
 とあるスタッフが、誰も見ていない場所で眠りに落ちた。

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[chapter:*branch/1. 恒星の光は差さず]

 夢の中ではたいてい、人は自分が何者なのか忘れてしまう。
 現在のことも過去のことも、自己に紐づく真実をほとんど忘れてしまったまま、それでも曖昧で断片的な自己記憶の欠片から形作られた虚構された夢を漂っている。
 記憶の大海を漂流するような感覚。
 広い宇宙空間になすすべもなく浮かんでいるような、そんな感覚。
 今もそうだ、とふとアスターは思う。そう思うということは、自分は眠りから覚めつつあるということだろう。
 騒々しい音を耳が拾い、アスターはうっすらと目を開けた。
 徐々に視界が明瞭になってくると同時に、〝自己〟の輪郭がよりはっきりとする。
(……ん……ええと……ここは……あれ?)
 アスターは息を飲んだ。意識が瞬時に覚醒する。
 見慣れた光景だった。同時に、もう二度と見たくない光景だった。
 見覚えのある豪奢な内装と調度品。かつて〝家族会議〟が行われていた部屋そのまま。アスターが連日親戚達と議論し、何の議論の進展も得られなかったあの頃と同じ光景。
 あの頃と同じく、見覚えのある人物がそれぞれの席についている。いつもの親戚達だ。曾祖母、曾祖父、叔母、叔父、祖父母、母と父、年の離れたいとこたちに——
(——私も、座っている?)
 アスターは息をひゅっと飲んだ。
 アスターの視界の中に、また別の〝アスター〟がいる。家族会議の席に座っている〝アスター〟は、毎朝鏡で見る自分よりは幾分か幼い外見で、その表情は固く張り詰めている。
(え、どういうこと?)
 アスターは慌てて自身の手元を見た。宇宙ステーションの制服を着ているが、手の輪郭が少し透けている。瞬間的に訪れた本能的な恐怖を抑え込む。
(となると、ここは夢か何かなのかしら)
 ひとまずそう思い込み、アスターは周囲を観察した。
 確かに、ここに二人アスターがいることで何の騒ぎにもなっていない。まるで別の空間から覗き込んでいるように、自分だけがこの家族会議から切り離されている。
 粛々と、家族会議を兼ねた食事会は進む。その様子を、まるで自分が影の中にいるかのように、俯瞰できるところからアスターは見ている。
「アスター、来年になったらうちの会社の役員ポストに入って経験を積むのはどうだ? いやなに、ちょうどいいポジションを空けておかなければと思ってな」
「あらやだ、それよりも、私の子会社の社長から始めるのはどう、アスターちゃん?」
「……何度も言ってるけど、私はどれも嫌」
 家族会議の渦中にいる〝アスター〟が、そう仏頂面で答えた。途端に降り注ぐ親族達の生暖かい眼差し。
 その眼差しこそが当時のアスターの決定権を握っていることを、今のアスターも、かつてのアスターも知っている。そして、その決定権を握っている者同士で争っていることも。常日頃はアスターに甘く、何でも買い与えてくれる母も父も、この決定に関しては決して味方ではない。
「アスターちゃん、星の研究なんて趣味で続ければいいじゃない。スターピースカンパニーで星間の架け橋となり、新たな星々を信用体系に組み込み、存護の壁を築く——それ以上に魅力的なことがどこにあるの? あなたにはそれだけの商才と統率力があるのに」
「……っ、私は、それ以上に——」
(うわあ……)
 もう二度と聞きたくもない言葉が、当時のアスターに向かって突き立てられている。
 価値観の異なる親族達とこんなやりとりをするのは、かつては日常茶飯事だった。彼らにとっては異端児はアスターで、彼らの価値観こそが絶対でしかない。今でもこのような問答は度々起こるが、アスターがわざわざ家に帰ることはほとんどない。
 ここはどこなのだろう? 夢だとしたらいつか覚めるだろうか?
 それとも、もっと厄介な事象だろうか?
(変な奇物の中に入り込んだ? こんな事象を引き起こす可能性のあるものって……)
 そう考えこんでいる間にも、親族達との口論はくだらない展開を見せている。
「まあまあアスターちゃん、そうだ、次の休暇でメルトゥル星にバカンスに行くのはどう? スターピースカンパニーの介入で銀河の中核貿易都市にまで発展した星に興味はない? あなたの考えも変わるかもしれないわよ」
(……ん?)
 聞き流していた会話の中に、既視感のあるやりとりが交じった。叔母がこの話題を持ち出したのは確かあのときだけ、あのときとは——

 壁に掛けられた時計を見て、背筋が凍る。
 今は12時58分46秒。時計の針がちょうど13時を指す頃、この家族会議という名の詰問は終わった。そして。
 アスターはその瞬間を覚えている。
 その瞬間、人生の何もかもが変わりだした。

 ミス・ヘルタが現れたその瞬間を。

『この子だったよね?』
『しかし彼女は……』
『何がしかし、なの? 遠路遥々やってきて、あなたたちのくだらない学術報告を聞くよりは、この子とあなたたちの言い争いを聞いてたほうが面白い』
『……』
『3日以内に、宇宙ステーションで彼女の姿を見られるようにして。いい?』

 あの瞬間、アスターの狭い世界は砕け散った。
 常に高圧的な親族達が人形のミス・ヘルタにかしこまりへりくだる様は、アスターにある種のショックと清々しさを与えた。
 そして、今までどうやっても変わることのなかった自身の運命が、あっさりと軌道を変えた。……当時は状況を飲み込めておらず、そのことを理解したのはもっと後のこと、宇宙ステーション「ヘルタ」に着いてからだったけれど。

 この世界でも、時計の秒針が動く。
 12時59分。

 1秒。
 2秒。
 3秒。
 ——
 ……59秒。

(あ、)
 13時を過ぎても、ミス・ヘルタは現れない。
 代わりに家族会議は終わり、いつものように親戚達が小言を言いながら席を立っていく。
 〝アスター〟は席に座り込んで、じっと空になったテーブルを睨んでいた。他の使用人達に交じってアーランが部屋に入ってきて、遠慮がちに〝アスター〟に声をかける。
「……お嬢様。ペペが遊びたがっていました」
「……ええ、行きましょう、アーラン」
 〝アスター〟は長い溜息を吐いた。その様子に心が締めつけられる。かつての自分は、家族会議のあとは大抵、ペペと遊んでアーランに愚痴を吐いていた。
(でも、それよりも……)
 この変な世界の中で、ミス・ヘルタがついぞ現れなかったことは、想定以上の動揺をアスターに与えた。
(私の記憶が間違っている? ……いえ、それとも、ここが夢か何かの現実ではない世界だとしたら、別のときの記憶と入り交じっているのかも?)
 夢の中では何が起こっても不思議ではない。
 だから、きっと考えすぎだ。
 でももし、と考えて、アスターはぶるりと震える。
 だってここは、夢の中だと楽観視するには、あまりにも感覚が鮮明で、現実に近すぎる。
(もしも、ここが現実だったら)
 もしもここが現実で、あのときミス・ヘルタが現れなかったら、今頃自分はどうなっていたのだろう?

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[chapter:*Scene/1 夢と現実]

「お嬢様? お嬢様、起きてください。大丈夫ですか?」
「アーラン……?」
 アーランの声がした。ふわふわの寝具の感触がする。アスターは無意識に目をこする。
 アーランが心配そうにこちらを覗き込んでいて、ああやはりあれは夢だったと安堵する。
 そう、あの夢。あの夢がまだ現実と地続きのように思えて、アスターはぶるりと震えて腕をこすり合わせた。鳥肌がまだ立っている。
「うなされていたようだったので」彼は続ける、「もう朝ですよ。要人の出迎えに関する打ち合わせが、2システム時間後には始まります」
「……あら! いけない。アラームをかけ忘れたのかしら。起こしてくれてありがとう、アーラン」
「いえ、とんでもありません。何かお手伝いしましょうか?」
「そうね、なら朝食の手配をお願い。あなたはもう朝は食べた? まだだったら、一緒に摂りましょう」
「はい、お嬢様」
 アスターは素早く身を起こし、朝支度の算段をした。
(今日は要人の出迎え準備に、学会報告資料の作成と、管理報告書の提出と……)
 それからいつも通りの管理雑務。今日も忙しい一日になるにちがいなかった。

   *

「なんだか変な夢を見たの」
 アーランにそう話したのは、朝食の席だった。
 今日の朝食は、宇宙ステーション内の社食センターから届いた、パンにいろいろな食材を挟んだブルーの伝統料理だ。腹持ちがよく、作業しながら食事ができるのでアスターも気に入っている。実際に今、アスターはメールやチャットを横目で確認しながら食事をしている。起床が遅れたつけだ。
 肉と卵が挟まれたパンを手にしたまま、アーランが眉をひそめた。
「今朝は随分うなされていましたね。お嬢様」
「そうなのよ。変な夢を見たの、私が実家にいる頃の夢で……うん、嫌な夢だった。ねえ、アーランは私が激しく親族達と衝突していた頃のことを覚えてる? ちょうどそのころの夢だったわ、しかも、私がミス・ヘルタと初めて会ったときの口論の内容だったの。
 でも——あの夢で、ミス・ヘルタは現れなかった」
 アスターは徐々に固く内省的になっていく声を切った。考えすぎだ。
「それで少し考えたの、ミス・ヘルタがあのときあそこに現れなかったら、今頃私はなにをしていたんだろうって」
 そこで目の前のアーランの表情が険しくなったことに気づき、アスターはにっこりと笑った。
「心配かけてごめんなさい、ただの夢だと思うわ。今晩は何も見ないといいのだけれど」
「夢、なんでしょうか」アーランは眉をひそめる。「何か心当たりはありませんか? 何か……奇物等から影響を受けたとか」
「うーん、心当たりはないわね。特に奇物に触れた覚えもないし」
 アスターは最後の一切れを食べ終わり、メール画面を閉じた。緊急の案件には返信済み、その他返信を急ぐものはなし。そうして大きく伸びをする。
「はあ。ただの悪夢だったのかしら。それならいいんだけど……やけに鮮明で、今まで見たことがない切り口の夢だったから。
 ……いえ、もうこの話はやめて、楽しい話をしましょ! アーラン、次の休暇はどこに行く?」

   *

 そうしてヘルタでの変わらない一日が始まり、あっという間に過ぎ去る。
 今日の仕事は全てスムーズに進んだが、業務時間が終わる頃に予定外の客人が訪れた。
「あら、トパーズさん、こんにちは! どうしたの?」
「こんにちは、アスターさん。ミス・ヘルタの支払いの件でお話に来たの」
「……嫌な予感がするわ。ミス・ヘルタ、また口座が凍結されたの? 今度のプロジェクトではカンパニーの他組織にも資金援助を要請したって聞いたし、あのあと渡したカードの範囲なら好きに使ってくださいって言ったのに……」
「それじゃあ足りなかったみたいね。ほら、アスターさんのそのカードから予定額を超える使用があったから、私がここに来たの。この請求明細を見て」
「うえっ⁉」
 宇宙随一の富を持つお嬢様は、絶句したあとに深いため息をついた。つまりはそんな金額なのである。天才のプロジェクトは、しばしば想像を絶するほど巨額の資金を必要とする。
「……きっと新しい模擬宇宙プロジェクトだわ。はあ……はい、これで払っちゃって」
「どうもありがとう〜。話が早くて助かる!」
「いえ、こちらこそわざわざご足労いただきありがとう。時間を使わせちゃったわね」
「いえいえ! ちょうど帰航の途中だったし、宇宙ステーションにも寄りたかったの。噂で聞いたんだけど、新しいお店がオープンしたんだって?」
「ああ、そうなの! スタッフ達にも結構評判がいいのよ。ねえ、もういい時間だし、よければ一緒にそこで食事でもどう?」

   *

 宇宙ステーションのショッピング街は、宇宙ステーションの経済規模に反して華々しくバリエーション豊かすぎるぐらいだが、その建設を推し進めているのが所長だと知っているスタッフは極一部だ。
 その裏通りに、新しい飲食店がオープンしていた。
 隠れ家カフェのような店構えで、カンパニーと提携して憶質の研究をしている、とあるスタッフの研究成果を提供する店でもある。
 アスターとトパーズはそこで憶質料理を楽しみ、たわいもない世間話をした。カンパニーの噂話、最近赴いた星々での出来事……星間を駆け回る彼女達にとって、それらは日常の小話であると同時に、情報収集は生命線に直結する大切な業務でもある。
「そうだ、ピノコニーはどうだった?」
「ああ、噂に違わぬ夢の地だったよ!」
 トパーズはグラスの中身を一口含み、目を閉じてその情景・・を味わった。この店の料理では、物質的な素材に加えて、単純な感情や情景に加工された憶質——例えば喜びやくつろぎ・高揚感、それに雪原や流星群の情景——これらが舌の上で楽しめるのだ。
「でも結局、私が夢の中に入れたのは仕事のときだけだったから、全てを見て回れたとは言えないんだけど。また機会があったら遊びに行きたいかな。
 ……アスターさんは? ピノコニーに行ったことはある?」
「私もピノコニーには行ったことがないのよね。あそこはカンパニーと確執があったから、私の立場だと気軽に行けるところではなかったし」
 トパーズは、この目の前のお嬢様の言う『気軽に行けるところではない』が相応の高いハードルに匹敵することは知っていたが、当たり障りなく頷いた。
 宇宙で随一の力を持つ共同体とはいえ、カンパニーに属さない星々はまだまだたくさん——それこそ星の数ほどある。それでもいつか、カンパニーはどんな星も信用体系に組み込もうとするだろう。ピノコニーのように。
「ああそうだ、ピノコニーでスクリューガムさんにも会ったんだよ」
「へえ! ああ、そういえば……ミス・ヘルタが一時期文句を言っていたわ。スクリューガムさんのピノコニーでのプロジェクト——階差宇宙って名称だったかしら、それによって、ミス・ヘルタのプロジェクトにも影響が出るって」
 アスターはあの上司の怒り具合を思い出し、つい笑みをこぼした。
「でも結局ミス・ヘルタは、スクリューガムさんのプロジェクトにも少し介入したみたい。定期的なデータ収集は向こうのプロジェクトに委託して、代わりにより設計難易度の高い、星神アイオーンに関する演算プロジェクトに注力することにしたみたいね」
「へえ、なるほどね! 私もそのプロジェクトの様子を見たよ。そういえば、開拓者がミス・ヘルタのデジタル彫刻も飾ってた」
 でも、とトパーズは付け加えた。
「残念、ミス・ヘルタが怒り狂っているところは少し見てみたかったけど」
「それ、ほんと?」アスターが半目で問いかける。
「うそうそ! スクリューガムさんは噂通り品のある紳士だったから、気になっただけ。
 ……でも、少し驚いた。無機生命体も私たちと同じように夢を見て、夢境に入れるんだね」
 トパーズの感想に対し、アスターは補足を付け加えた。
「厳密には、有機生命体が見るのと同じ夢ではないみたいよ。別のやり方で彼らは夢を見るんですって——でも、ピノコニーの同じ夢境空間で意識を共有できるということは、逆説的に、それが彼らの夢だということを証明しているみたいよね。それに……」
 アスターはそこで自身のドリンクをテーブルの上に置いた。濃い群青色に、星雲のようなもやがかかったドリンク。瞼を閉じると星々の明滅が見える。一番のお気に入りだ。
「夢がないと、あれだけ大きな偉業を成し遂げられない。スクリュー星が今のような発展を遂げているのは、無機生命体と私たち有機生命体が対等な関係性で交流できているのは、ひとえにスクリューガムさんの夢に対する努力の成果だもの」
 トパーズは頷いた。かつてカンパニーが危険視し、滅ぼそうとした無機生命体の星は、彼によって新たな秩序を取り戻し、平和的な発展を遂げた。スクリュー星は、今やカンパニーも無視できない影響力を持っている。かつての戦争時代が嘘のように。
「そういえば、あまり気にしてなかったんだけど……カブも私と一緒に夢境に入れたんだ」
 トパーズはつぶやいた。
「カブも夢を見るってことだよね。……そうだ、今回は連れて行かなかったんだけど、生態艦の皆ももしかしたら夢を見るのかもしれない。皆で夢境を楽しめるかな? 私たち、思っているより多くの機能を、他の生き物と共有しているのかもね」
 出自は全く異なるが、年齢や今の立場が近いということもあって、トパーズとアスターは親しい方だった。価値観が意外と似ていたせいもあるだろう。
 すなわち、地位やお金は重要ではなく、それ以上に成し遂げたい何かがあること。
 とはいえその何かのために、地位やお金はうまく利用できる資産であるということ。
 そして、余暇は大変重要であること。
 それらがトパーズとアスターの共通する価値観で、ビジネスの範囲を超えて親密になった理由のいくらかでもあった。
「ピノコニー……いいわね、私も機会があったら訪れてみようかしら。スクリューガムさんのプロジェクトもそうだし、アスデナ星系の成立過程には結構興味があるの」
「私たちのプロジェクトで、ピノコニーにはカンパニーも介入することになったの。だから、もっと訪れやすくなるんじゃないかな。……ああそうだ、それに」
 トパーズは目の前のお嬢様に向けて付け加える。
「宴の星だけあって、ショッピングはすっごく充実してたから……アスターさんは気に入ると思うよ」
「ああ、そうよね! ……うーん、今度の休暇はピノコニーにしようかしら。夢境の中でのショッピングって楽しそうだもの!」
「あはは」
 とはいえ、どうしても理解できないこともある。
 アスターの金遣いの荒さを知っているトパーズは曖昧に笑った。十の石心の金銭感覚から見ても、彼女のお金の使い方は規格外だ。

[newpage]
[chapter:*branch/42 無数の星々の観測者]

(あれ……)
 アスターはふと目を開けた。
 まるで眠りから覚めた直後みたいに、意識が朦朧としている。
 トパーズさんと食事をして、何をしたんだっけ。
 記憶を辿る、確か、あのまま自室に戻り、それから……
(今、ここは……どこだろう?)
 どうも覚えのある感覚だ。
 昨日と同じような、鮮明な夢の手触り。

 アスターは警戒心を強めた。二夜連続となると、さすがに偶然とは思えなくなる。
 次第に視界がクリアになり、世界の輪郭が鮮明になり、そして——

 目の前に、〝私〟がいる。
「え⁉」
 思わず大声をあげたアスターに対して、向こうの〝アスター〟は特に動じていない様子だった。
「あら、こんにちは、私。ちょっと待っていて、すぐ仕事を片付けるから」
 その〝私〟は、手をひらひらと振って、こちらを覗き込む。
「私たち、はじめましてかしら?」
「あなたは……誰? どういうことなの?」
「ああ、あなた、はじめてなのね」
 目の前の〝私〟は、眉を持ち上げた。ぞっとするような感覚が末端にまで即座に伝搬し、思わず後ずさる。鏡の中の〝私〟が勝手に動いているような、〝私〟に覗き込まれているような恐怖。
「どういうこと? あなたは何者? ここは……夢境?」
「いいえ」
 彼女はきっぱりと言った。
「夢じゃないわ。少なくとも私はそう認識しているし、あらゆる観測結果はその事実を裏づけている。……まあでも、そう言われてもいきなりは信じられないわよね」
「…………」
「まあまあ、まずはそこに座って。少し話をしない? 私もあなたの話を聞きたいし、あなたも私の話を聞きたい。どう?」
 正直なことを言うと、彼女と話していたくなかった。自分にそっくりな分身との会話をしたくないと、本能は訴えていた。
 一方で、自分自身と会話をするという、通常ならばありえない経験に興奮もしている。情報を入手するという点からしても悪くはない。ここがただの夢の中ならば杞憂にすぎないが、特殊な空間に入り込んでしまったという可能性は排除できていないから。
 アスターはそう判断し、慎重に口を開いた。
「……なんだか、あなたはこういうことに慣れているのね? 同じことをたくさん体験してきたって口ぶりだもの」
「そうね。〝私〟に会うのは初めてじゃないわ」
 そう言って、その〝アスター〟はこちらに微笑みかけた。その目は惑星ブルーを思い起こさせた。よくある海洋惑星であるにもかかわらず、あの深海にはまだたくさんの謎が隠されている。
「これまで、いろんな〝アスター〟に会ってきたの。あなたは、初めて会ったのが私でラッキーだったわね、おそらく私以上にこの現象に詳しいアスターはいないわよ。この〝並行世界〟の現象は、私の今の研究分野だから」
 対面の〝アスター〟は身を乗り出した。
「ねえ、あなたのことを教えて。あなたはどういう〝アスター〟なの?」

   *

 目の前の〝アスター〟は、アスターの状況を事細かに聞きたがった。精力的に質問をし、ころころと笑った。
「へえ、ミス・ヘルタに拾われるなんて選択肢があったんだ! 宇宙ステーション『ヘルタ』……何度かお邪魔したことはあるわ。でも私がミス・ヘルタをお見かけしたのは一度きり、向こうは私に何の関心も持たなかったわね」
「へえ……そういうあなたは、今どこに所属しているの?」
「ああ、スターピースカンパニーよ」
 そこでこちらが緊張したことに気づいたのか、彼女はこう補足した。
「でも、家業をそのまま継いだわけじゃないの。まあ、今のところは、だけど……今は技術開発部に所属していて、提携先の博識学会で研究をしているわ」
「へえ……」
 アスターは素直な驚きを声に出した。
「あなたも家業を継ぎたくないの?」
「私が今まで会った〝私〟の中で、家業を継ぎたいって言うアスターは存在しなかったわよ」
 目の前の〝アスター〟はそう苦笑いする。確かに、とアスターは一人納得する。
「確かにそうよね……私も絶対に家業は継ぎたくないの。でも当時、そこから逃れられる選択肢は、ミス・ヘルタと出会う前は存在しなかった。だから、ありがたい道だったと思ってる。宇宙ステーションのことも好きよ」
「ええ……私たちは皆、その選択を探して苦しむのよね」
 対面に座っているアスターは内省するかのように視線を下げた。
 止められなかった好奇心が湧いて出る。
「……あなたは? 私のことを教えたんだから、あなたのことをもっと教えて。あなたは何をしているの? さっき、並行世界の研究をしているって言ったけど……」
 そこでアスターは口ごもった。聞くのには少し勇気がいった。
「星の研究は、あなたにとっては重要ではなかった?」
「いいえ。私も星が好き。よく観測に行くわ」
 彼女は頭を振り、感慨にふけるかのように瞼を閉じた。そうしてもう一度瞼を開き、こちらを安心させるように微笑む。
「でも今は確かに、この〝並行世界〟の研究をしているの。だって、並行世界の研究も、星の研究も、本質的には同じでしょ?」
「……虚数の樹理論の話?」
「そう」
 彼女は頷く。
「星間航行技術によって、私たちは虚数エネルギーによって隔てられた世界を跳躍できるようになった。
 けれども、並行世界——つまり、同じ世界の複数の分岐を観測できる技術は、これまで発見されていなかった。あなたの世界でもそうよね?」
 〝アスター〟は問い、アスターは頷いた。
「例えば、私たちの選択が違った場合——まさに私がスターピースカンパニーに所属していて、あなたが宇宙ステーション『ヘルタ』に所属しているように、同じ世界の異なる私はかつて観測されたこともなかったし、実在を説明できる統一理論も存在しなかったわ。
 ——けれども、今は違う。少なくとも、この私の世界では」
 向こうの〝アスター〟は椅子を半回転させ、ある端末を持ってきた。数度タップすると、とある立体データが展開される。
 それは線と点で構成されていて、まるで植物が枝を広げるような構造をしていた。下から上へと線が伸び、途中のいくつかの分岐点には色が付けられている。
「この立体図には、私が今までに観測した星々並行世界をマッピングしているの。私はプロジェクトの一環として、無数の異なる〝私〟の分岐点を描写し、この並行宇宙がいつどんなときに分岐するのか、その条件を洗い出そうとしているの。大仕事よ」
「並行宇宙……」
 アスターは思わず目の前の樹形図に見とれた。単純な線の集合で、概念上の並行世界の構造を模写している。それは美しく、壮大だった。このシンプルな構造図がどれほど大きな世界を描写しているのかを、アスターは想像した。星々と同じだ。それぞれの線に、無数の生命体の軌跡が詰まっている。
「……でも、これだけの並行世界を、どうやって観測したの?」
「うーん、その説明はややこしいんだけど……まずはこれを見て」
 彼女が取り出したのは、一つの望遠鏡。特に変わっているところはない、小型の望遠鏡だ。
「この世界で、異なる世界を覗き見るための望遠鏡が発見されたの。それがこれ。私たちは〝並行宇宙望遠鏡〟って呼んでいるわ。
 この望遠鏡は、覗き見ると異なる世界を映し出し、一時的に世界間のコネクションをつなげ、交流を可能にするの」
「……〝並行宇宙望遠鏡〟?」
 アスターは首をかしげた。この望遠鏡を見たことがあるような、と思ったが、どこだったかは思い出せない。
「ええ。普通の望遠鏡は遠くの星々を観測することを可能にするでしょ。けれどもこの望遠鏡は、私たちにより近い世界でありながら、ずっと観測できなかった遠い宇宙——並行世界を観測することができるの。
 覗いてみる? 心配しないで、何も操作しなければ別の世界に飛んだりはしないから」
「……ええ」
 アスターは誘惑に負け、並行宇宙望遠鏡の接眼レンズを覗き込んだ。
 途端、視界が爆発する。無数の人々の日常が視界を通り過ぎ、無数の人々の選択が世界の分岐を左右する。その中には確かに、自分とそっくりの少女もいた。
 耐えきれずに望遠鏡を離したアスターは数十秒目を閉じて黙り込み、ふう、と溜息を吐いた。
「よくあんな視界で……観測できるわね……」
「ふふ、慣れよ。観測にはコツがいるの。特定の操作をすることで、視界の先の並行世界に渡ったり、逆にこちらに合流させたりすることもできるのよ。試す?」
「今は……やめておくわ」
 アスターは首を振り、〝アスター〟に向き直る。
「……並行世界が観測できることは分かったわ。貴重な体験をどうもありがとう。でも、気になるんだけど……理論的な説明はついているの? 私たちが特殊な夢境の中にいるっていう可能性や、あなたが虚構歴史学者による虚言の可能性は排除できないんじゃない?」
「あなたが虚言だった、の方かもしれないわよ」
 目の前の〝アスター〟は眉を下げて笑い、アスターはそこで言葉を詰まらせた。
「でも確かに、理論の構築はまだ途中なの。仮説は複数立っているんだけど、まだまだ圧倒的にデータが足りなくて。今、この事象に気づいた銀河各地の勢力が、誰よりも先に成果を得ようと研究を続けている。私たちのチームも同じで——今のところ、一番リードしている。もちろん、カンパニーの後ろ盾あってこそだけど。
 すごく刺激的な研究なの。個人的には、星の観測と同じくらいね」
 そこで、向こうの〝アスター〟は苦笑した。
「まあでも、もしかしたら……私の中の欲望がそう駆り立てているのかもしれない。天才達に並びたいっていう欲望がね」
 彼女は椅子の背にもたれかかり、天井を見上げた。
「ひときわ大きく輝く恒星——天才達の輝きに、私たちは何人束になっても敵うことはできない。けれども一部の幸運な研究者は、一瞬だけでも時代を照らすことができるかもしれない。そしてもっと運が良ければ、あるいは天才に相当する知恵があれば——天才に並ぶ輝きを残せるかもしれない。例えそれが一瞬の話でもね。
 私は今、この研究領域で天才に匹敵する輝きを残したいと思っているの。決してありえない話じゃないのよ、例えそれがたまたま運が良かっただけだとしてもね」
 彼女は何かを思い出したかのように、曖昧に笑った。
「そういえば、この研究分野には天才クラブは誰も興味を示さなかったの。彼らにとっては、この研究も取るに足らないものなのかもね」
 アスターは何を言うべきか躊躇った。彼女の気持ちは分かる。天才達は、一介の研究者が一生のうちに得られる解を、一ページ足らずの落書きで得てしまう。
「うーん……取るに足らないものというより、ただ今は興味がないんじゃないかしら。あの人達は本当に極端で、興味の幅がそのときによって大きく変わるから」
「まあね。かつての天才クラブの発明である共感覚ビーコンも超距離センシングも、ずっとクラブのメンバによって無視されていたものね。そうであってほしいかも」
 〝アスター〟は独りごちるように言った。
「ひょっとしたら並行世界の研究は、私たちを新たな時代に連れていくかもしれない。共感覚ビーコンと超距離センシングが作り出した星間交流の時代から、私たちは並行世界と交流できる時代の幕を開ける。並行世界の選択結果を知ることで、私たちはよりよい未来を選び取ることができるようになる」
 星間交流。それを推し進めたのがスターピースカンパニーだということは、周知の事実だ。果たしてカンパニーはこの技術を歓迎するのだろうか? ……分からない。けれども目の前のアスターがスターピースカンパニーに属しているということは、少なくともこの世界のカンパニーは、この技術研究を推進する判断をしたのだろう。
(この世界のカンパニーは、か)
 不思議な感覚だった。スターピースカンパニーは宇宙で最も大きな影響力を持つ共同体だ。もし各並行世界にカンパニーが複数存在するのであれば、同レベルの大きな力を持つ共同体が並列して複数存在することになる。そのことを、果たして本当にカンパニーはよしとするだろうか?
 思わず考え込みそうになったアスターに構わず、彼女は次の説明を続けた。
「ちょっと脱線したわね。それで、ここからが不思議なんだけど、今日、あなたを私が呼んだわけじゃないの」
「え?」
「ある時期を境に、この現象は頻発するようになったのよ。並行世界から別の並行世界に訪れるっていう現象がね。元々はこういう——〝並行宇宙望遠鏡〟のような奇物で特定の条件を整えてやる必要があったんだけど、そうせずとも並行世界と交流できるようになったの。この現象は今、頻度も規模も広がっていて……まるで、世界が自らつながろうとしているみたい」
「ええ……? ちょっと待って、理解が追いつかなくなってきたわ……」
 そこでアスターははっと気がついた。
「そういえば、この現象っていつまで続くの? 私、ずっとこの世界にいることになるわけじゃないわよね? それから……どうやってこの状況から元に戻るの?」
 〝アスター〟は微笑んだ。
「安心して。心配せずとも、そのうち元の世界に戻るわ。並行世界の交錯は一時的な世界の揺らぎにすぎず、分かれた枝が再合流することは滅多にない。別の世界同士がつながっている状況そのものが特殊な状態なんだと私たちは推測しているわ。
 だから私たちの交流も、そんなに長くは続かないはずよ。もちろん場合にはよるけれど、たいてい3システム時間以内には終わってしまうわね」
 彼女は不思議な温度でこちらを見つめた。それは同一人物への思慕でもあり、この奇妙な現象への、どこか無垢な驚嘆でもあった。
「だから、私たちが会えるのはこれが最後かもね」

   *

 それから彼女とは、いろんな話をした。彼女の来歴から今に至るまで。最近話題になっている研究分野について。アーランはどこで何をしているか。
「私と同じく、並行世界の研究をでしているアスターは結構いるわよ。中には、お互いが入れ替わるっていう実験を行ったアスターもいるの」
「え⁉ どうやって⁉ それは成功したの?」
「一回奇跡的に成功したんですって。でも再現試験はうまくいっていないみたい。やり方は……タイミングを合わせて、〝並行宇宙望遠鏡〟をお互いに向けて同時に使うの。ほら、こういうふうに」
 そう言って、〝アスター〟はくるりと望遠鏡をこちら側に向け、覗き見る真似をした。意味するところに気づいたアスターは、瞬時に飛び退く。
「……ちょっと、絶対にやめて!」
「あはは、冗談よ。さすがに私も誰かと入れ替わろうってほど、酔狂じゃないわ」

「私も、カンパニーには所属しているけど、うまい具合に親族達の思惑から抜け出せたの。すっごく大変だったけどね。……だから、自分の選択はいい選択だったと思っている。まあ、大抵どの私もそう言うのよね」
「そう言わない私もいるってこと?」
「それはもちろん」彼女の表情は少し影を帯びた。「だって、誰かの選択の裏で、誰かが異なる選択をしているもの。自分がした選択を後悔している〝アスター〟も……少なからずいる」
 アスターは考えた。ミス・ヘルタの一瞥を受けず、あの鳥籠の中にずっといる自分を。
「あなたが何を考えているか、手に取るように分かる気がする」
 目の前の自分はそう苦笑する。
「あなたが考える世界線の〝私〟も、もちろん存在している。でも、そういう世界線の人たちは、例え並行世界の存在を知っていたとしても、あまり好んで私たちと交流をしようとはしないわね。
 ……だって、想像してみて。自分が辿りつけなかった未来を、別の〝私〟は謳歌している。それを観測することしかできない……そんな状況に置かれたら、私だって嫌だわ」

   *

「……あれ?」
 ふと、意識がぐらりと揺れ、アスターは頭を押さえた。
 夢から覚めるときのような、この世界から強制的に切り離されるかのような感覚。
「ああ、終わりの時間が来たみたい」
 〝アスター〟は微笑んで、こちらに手を振る。その微笑みが、世界の輪郭が、どんどん薄く儚くなっていく。
「さようなら。あなたと話すのは楽しかったわ。また会えたらいいわね、〝私〟」

[newpage]
[chapter:*scene/2 混乱]

 そうしてアスターは目を覚ます。
「……ふわあ…………、うたたねを……していたみたい……?」
 窓辺にもたれかかっていた上体を起こし、大きく伸びをする。
 接触していた建材に奪われた体温が、じんわりと通ってくるのを感じる。身体を随分と冷やしたことに気づいた。立ち上がり、熱々のコーヒーを入れるころには、意識は随分はっきりとしてきた。けれどもあの夢の鮮明な感覚は、まだ記憶に焼きついている。
「あれは…………夢、だったのかしら?」
 驚くほどはっきりとしていて、夢とは思えないほど整合性のとれた夢。
(……確か、トパーズさんとの食事を終えた後、自室で星の観測中だったのよね。あのあと、そのまま眠ってしまって……夢を見た?)
 アスターは就寝前に星の観測をすることを日課にしていた。
 特にはっきりした観測目的があるわけではなく、何かの研究というわけでももない。そのときの気分に応じて好きな望遠鏡を使い、好きな星空を眺める、趣味の延長線上にも近い行為だ。しかし研究課題の種は、こんな気ままな観測から芽吹くことも多い。
 どうやらそこで、そのまま眠り込んでしまったらしい。それほど珍しいことでもないのだが、ふと星の位置を見て驚く。
「やだ、もうすぐ朝じゃない」
 眠り直すには半端な時間だが、朝の身支度をするにも早すぎる時間だ。
(観測をし直そうかしら。それとも、早めに仕事を始めようかしら……)
 そうも思ったが、先ほどの夢の内容が引っかかった。
(あれは本当に夢だったのかしら。並行世界の自分と……やりとりができる?)
 並行世界、とアスターは考え込んだ。宇宙ステーション「ヘルタ」に収容された奇物にも、そのような効果を持つ奇物はなかったはずだ。
「う〜〜ん。ただの夢、のような気がするけれど……」
 そこで口をつぐんだ。少し嫌な予感がした。
(あの〝並行宇宙望遠鏡〟という奇物は、どこかで見たことがあったような……?)
「……ひとまず、朝食の時間になったらアーランに相談してみましょう」

   *

 その後は結局眠りにつかず、星の観測をしながらあれこれ思考を巡らせていた。
「お嬢様、おはようございます」
「アーラン! おはよう、ねえ、また変な夢を見たのよ」
 何気なく振った話題だったが、アーランは表情を硬くした。内心引っかかりを覚える。
「どのような夢でしたか?」
「昨日と同じで、私自身の夢だったわ。でも今日は、その私自身と会話する夢を見たの。そうね、夢とは思えないくらい、リアリティのある〝私〟だった。スターピースカンパニーに所属していて……」
 アスターが見た夢の内容を話すと、アーランは慎重に口を開いた。
「お嬢様……防衛課のスタッフも、似たような話を複数聞いたそうです。もしかすると、宇宙ステーション内で同じような事象が起こっているのかもしれません」
「……そう」
 彼の表情が強張ったときから予感はしていた。宇宙ステーションの異変に最初に気づくのは大抵防衛課で、防衛課の責任者はアーランだ。
「なら、集団的に起きている何かしらの現象ってことになるかしら。噂を集めて、原因を探る必要がありそうね」
「ええ。防衛課にも情報収集をさせます」
「お願いね。……どうしたの、アーラン?」
 何か言いたいが、言いづらそうな表情。
「あの……俺も、似たような夢を見たかもしれなくて」
「え⁉ どんな夢だったの」
「俺自身の夢で、お嬢様も出てきました。ただ、その俺がいたところは……宇宙ステーション『ヘルタ』ではなく、スターピースカンパニーでした」
「……私と同じようなシチュエーションね」
 偶然で片付けていいものだろうか?
 となると、とアーランは難しい顔をした。
「各人の夢の内容はつながっているということでしょうか?」
「さあ。ただの偶然ということもありうるけれど……可能性としてはあるわね。とはいえ、原因の検討は全くつかないけど」
「妙ですね。何かの侵攻か、奇物の暴走か……。今のところ目立った被害は出ていないようですが、時間の問題かもしれません」
「ええ。原因究明と、対応を急がないと」
 そう言いながら、アスターとアーランはお互いに深刻そうな表情を見せた。前回の冥火大公の侵入の件は、反物質レギオンの事件の後だったにもかかわらず、対応が後手に回った苦い記憶として記憶に焼き付いている。
「でもアーラン、あなたは防衛課の責任者なんだから、あまりこちらに気を取られすぎないで。誰かが仕掛けた罠の前兆という可能性もある。噂を集めてもらえるのは助かるけど、そのせいで監視業務が手薄にならないようにしてちょうだい。
 私の方で、各課のリーダー層と連携して調査を始めるわ。朝食が終わったら、それぞれの仕事に取りかかりましょう」

   *

 身支度中に覗き見たスタッフ達のチャットは、どこもお祭り騒ぎだった。

〝今朝、すっごく変な夢を見たんだ〟
〝俺も〟
〝私も〟
〝すっごく変な夢だった、自分じゃない自分と会う夢で……これってもしかして何かに取り憑かれている?〟
〝考えすぎだろ。お前ら、集団幻覚でも見たのか?〟
〝ああ、夢の世界に帰りたい……仕事をしたくない……〟
〝今、界種課とか応物課が調査しているらしい。大騒ぎだよ〟
〝またあいつらが何かやらかしたのか?〟
〝これは超常現象にちがいない!〟

 アスターの情報収集ルートの一つは、匿名チャットサービスである。
 宇宙ステーションのチャットサービスは、例えクローズドチャットであろうとアスターの監視下にあることを、匿名であろうと実名と紐付けて監視されていることを、ほとんどのスタッフは知らない。アーランと防衛課の一部スタッフぐらいだ。
 夢の噂は、既に広まっていた。

 夢の中で、違う世界の自分を見た。
 夢の中で、違う選択をした自分を見た。
 夢の中で、違う世界の自分と会話ができた。

 おおよそアスターの夢と内容は一致している。
 ただし、「違う自分の夢を見る」以外の共通点はないらしく、もう夢を見たくないと口にするスタッフから、ずっと夢を見ていたいと話すスタッフ、夢を見て現実との差に絶望して泣いているスタッフ。夢の傾向はバラバラだ。
 夢を見たと主張しているアカウントは、スタッフ数に換算すると——もちろん複数アカウントを考慮して——3割程度。夢を見ても投稿しないスタッフがいることを考えれば、十分多い数だ。
(つまりこれは、宇宙ステーション全体で起こっている事象)
「……ゆっくりはしていられないみたい」
 アスターは危機感を強めた。さらにチャットの傾向を確認する。
 特に所属組織や思想の偏りは見られない。
 特に目立った動きをするアカウントはおらず、扇動的な言動を繰り返すアカウントもいない。
(となると、内部からの作為的な攻撃ではないのかも。自然発生的な事象か、事故か、それとも外部からの攻撃か……後者だと厄介だわ)
 まだ記憶に新しい反物質レギオンの件も、冥火大公の件もそうだ。宇宙ステーション「ヘルタ」はその特性上、外の勢力から狙われることは多い。一方で、奇物や宇宙生物によるトラブルも日常茶飯事だ。
(界種課と応物課が独自調査をしている……もう? 対応が早いということは、何か心当たりがあるのかしら。やっぱり奇物絡み?)
 一番気になったのは、その情報だった。
(界種課の課長——シンクルさん達に状況を聞きに行きましょう)

   *

 宇宙ステーション「ヘルタ」はいつも騒々しいが、今日はいつもにまして騒々しかった。
 噂は既に、口伝でも宇宙ステーション内を伝搬しているらしい。
「本当よ! 怖い夢を見たの……」
 大声でそう主張するスタッフの声が聞こえる。
(悪夢を見たスタッフのために、メンタルサポートの拡充も必要かしら)
 そんなことを考える。苦い過去を夢によって蒸し返されるのならば、きっと悪夢を見る人も多いだろう。かくいうアスターも、正直……もう見たくない。確かに昨夜の彼女との会話は結構楽しかったけれど、自分の過去を覗き見るような夢は、嫌悪感の方が勝る。

   *

 界種課のシンクル課長は主制御部分にいた。近くには応物課の温明徳室長もいる。
「おはよう、シンクルさん、温さん」
「おはようございます、アスター所長。噂の件でしょうか?」
「ああ、話が早いわ。今どこまで調べてる?」
「今、複数のスタッフが奇物の状態を調査中です。ちょうど今報告を受けていたところなんです」
 随分と対応が早い。アスターは眉を寄せた。
「動きが早いわね、心当たりがあるの?」
「いえ……」
 シンクルが言い淀んだとき、
「もしこれが本当だとしたら、すごいことになりますよ! 既存理論を覆します!」
 近くにいた別のスタッフが興奮したように叫び、シンクルは額に手を当てた。
「彼らはこれを超常現象かもしれない、と騒いでいるところでして……随分と気合いを入れて調査をしているんです」
「ああ……」
 アスターは内心納得し、シンクルに苦笑いを返した。
「こんにちは、アスター所長。所長も例の件でいらっしゃったんですか?」
 そこでアスターに話しかけてきたのはアドラーだった。界種課で奇物に一番詳しいスタッフだ。
「ええ。アドラー、ちょうどいいわ。何か心当たりはある?」
 アドラーは首を横に振った。
「今宇宙ステーションにある奇物や異界生物の中に、この現象と合致するものはありませんでした。
 また、ほとんどの奇物はきちんと収容されていることを確認しました。ただし、スタッフが帯出中の奇物や、行方不明の奇物もあり、厳密には調査中です。
 諸々を鑑みて、今一番可能性が高いのは……全く未知の超常現象ということです!」
「もしこれが未観測の事象なのだとしたら、大発見だな!」
 スタッフ達は今日一番の盛り上がりを見せた。
「僕は昨日夢を見たんです。別世界の僕と会話する夢を! 非常に驚異的で、革命的だった。彼とはたくさん議論したんだ。いい研究のインスピレーションが得られそうだよ」
「俺も夢を見たけど……そんなにいい夢じゃなかったな」一人のスタッフはぼそりとそう言った。
「おい、もっと冷静になれ。まだ原因が判明してないだろ。この事象がどういうからくりで発生しているのかを突き止めないと、学術的発見とは言えない。我々はオカルトを対象に研究しているわけではないからな」
「そんなことは分かっている。だから今から調査するんじゃないか」
 別の方面で白熱しだした議論を横に、アドラーはコホンと咳払いをした。
「あの、所長、ひとつ心当たり……というより、知りたいことがあるんです。昨日ミス・ヘルタから届いた奇物、〝世界伸縮プリズム〟についてなのですが……」
 アスターは記憶を探った。確かに昨日、ミス・ヘルタから奇物が輸送されたという記憶がある。
「ああ、あれ……確か、ミス・ヘルタの研究メモがついていなかった?」
「ええ、ついていたのですが、メモの内容は非常に簡潔でして。『世界同士をつなぐ奇物』と」
 そこでスタッフ達がまた湧き上がった。
「もしかしたらその奇物が今回の事象を引き起こしたのでは?」
「その奇物はどこにあるんだ? ぜひ私に研究させてほしい!」
「馬鹿、ヘルタ様が研究するのが先に決まっているだろう」
「それは……もちろん、ヘルタ様が興味をなくしたらでいい!」
 騒がしいスタッフ達を尻目に、アスターは考え込んだ。世界同士をつなぐ奇物?
「確かに、あの奇物が運び込まれたタイミングは、この現象が発生し始めた時間帯と一致するわね。でも、きちんと収容された状態で届いたのよね?」
 気になったのはその点だ。奇物はたいてい、ミス・ヘルタの手によって、あるいは応物課での検査を経て収容される。
「ええ、確かに収容状態は問題なさそうに見えましたが……、実際に奇物の効果が無効化されていたのかは分かりません。奇物は奇物だけあって、どうやっても効果を無効化できないモノもありますから」
「……そうよねえ。分かったわ、ミス・ヘルタに詳細を聞いてみるのが確実かしら。あの人が返答してくれるかは分からないけど……」
 アスターは短く思案して、追加の質問を投げた。
「その他、この事象に関係していそうな奇物はなかった?」
「今スタッフ達に貸し出している奇物も含めて、確認中です」
「そう、じゃあ確認をお願い。報告は……そうね、午後に防衛課から報告を受ける予定なの。シンクルさん、温さん、あなたたちも出席してくれない? ああでも、もしその前に何か分かったら、緊急で連絡をちょうだい」
「分かりました、アスター所長」
 シンクルと温は頷いた。
「私は……」アスターはため息をついた。「その新しい奇物について、ミス・ヘルタに確認してみるわ。ミス・ヘルタがきちんと教えてくれるかは分からないけど」

   *

『なに? アスター』
 ミス・ヘルタは運の良いことに、5コール目で出てくれた。
「お忙しいところすみません、ミス・ヘルタ。少しお聞きしたいことが……昨日運び込まれた奇物〝世界伸縮プリズム〟について、詳細を伺ってもよろしいでしょうか?」
『……ああ、なんだ、この前送った奇物のこと? それが何?』
 何の用だと思っていたのだろう? とアスターは内心少し考え、口座の件に思い至った。まあいいや。別の機会のために、その話題は取っておくことにする、
「あの奇物はどのような効果なんでしょうか?」
『世界をつなぐ。それだけ』
 ヘルタは非常に簡潔に言い放った。
「あの、世界をつなぐというのは、いったい……」
『言葉のままだよ。あの奇物は、プリズムを通った憶質を元に、世界同士を無差別に繋ぎ合わせる。世界っていうのは……ある空間と空間同士を、ワームホールで結びつけるってイメージをすればいい。例えば星と星の間とかね』
 ヘルタは続けた。
『でも、その対象は目に見える物質的世界だけじゃない。あのプリズムは、夢境なんかの不安定な空間とも繋ぎ合わせることが分かっている。しかも繋ぐ対象は、プリズムが拡散した憶質の情報を元に選ばれるから、すごく不安定で厄介なんだよね。うまく使えば狙った世界同士の通路が作れないかと思ったんだけど、かなり難しかった。
 まあでも、私の研究の役には立った——模擬宇宙の参考技術としてね。満足したから、宇宙ステーションに送ったの』
「……なるほど。ミス・ヘルタ、実は宇宙ステーションで奇妙な事象が起きていて……」
 アスターは今宇宙ステーションで起きている事象の概要を説明した。異なる自分の夢を見るスタッフのこと、それが広範囲に渡る事象であること。それから、あの〝アスター〟が言った〝並行世界〟のことも。
『夢? 並行世界の?』
 ミス・ヘルタは、言外にありえないと言わんばかりの声を上げた。
『並行世界と夢の中で交流できたって考えたいわけ? 残念だけど、少なくともあの奇物にはそんな効果はなかったはずだよ。並行世界ね……』
 ヘルタは考え込んだ。
『確かにそんな理論を提唱する人はいたけれど、誰もその存在を証明できなかった。博識学会の研究にもあったよね、確か……〝パラレル宇宙トランシーバー〟だっけ? あの失敗作だか成功作だか分からない奇物』
 アスターは思い返した。確かにそんなコレクションが、収容物としてあったような。
『宇宙は確かに複数の世界星々を生み出しているよ。その中には、同じ要素から作られたのではないかと推測されるほど似た要素を持つ星々もある。
 けれど、その世界が全く同一であるわけじゃない。広大な宇宙の中で、私たちは自分と同じ要素を持った同じ顔をした人物に遭遇する可能性はあるけれど、その人物と全く同じ軌跡を歩んできたわけじゃない。同じように、全く同じ世界が存在することもない——ブルーが二つ存在することはないし、カンパニーが複数存在することもない。
 私はこう考えているの、世界はわざわざ、私が今日コーヒーを飲んだか紅茶を飲んだかの分岐を作らないって。だってもし同じ世界が並行して存在するなら、私は自分の人形を何百体も作る必要がないわけでしょ。まあ、一万歩譲ったとして——少なくとも今の私たちは、並行世界を観測する術を持たない』
「ですがミス・ヘルタ、先ほどの奇物の説明がその通りなら」アスターは発言した。「あの奇物が並行世界を観測し、私たちと繋いだ……ということにはならないでしょうか?」
 ミス・ヘルタは数秒沈黙した。
『あの奇物で並行世界を観測できたって言うなら、確かに大発見だよ。でも、それだけの状況証拠じゃあ……かなり疑わしい。だって、あなたたちの言う並行世界は、夢の中でしか接続できないんでしょ。夢の中で、っていう限定がつく理由は何? だからまだ、並行世界にいる自分の夢を見せられている、の方がありえそうだけど』
 と答えつつ、ミス・ヘルタは何かに気になったようで、電話の向こうで考え込む気配がする。
『もしかしたら、……うーん、さあ。やっぱり状況証拠が少なすぎる。宇宙ステーションにある他の奇物と関係してるんじゃない? でも、私はそのことにあんまり興味はないし、他にやるべきことがたくさんあるの。あなたの好きに調べればいいよ。じゃあね、このあと用事があるんだ、バイバーイ』
 そうして通信は唐突に切れた。いつものことだ。
「あっ、ミス・ヘルタ……終わっちゃった」
 しかし、収穫がなかったわけではない。今日は寛大にも、長く話してくれた方だから。

   *

 臨時対策会議は、あまり人目につかない会議室で行われた。参加者は防衛課のアーラン、界種課のシンクル課長に応物課の温明徳課長、加えて関係者なのだろう、スタッフ達が複数名。アドラーも交じっている。
「アーラン、まず防衛課の状況報告をお願い」
「はい、アスター所長」
 アーランは続けた。
「まずスタッフの安否確認状況についてですが、3名の行方が未だ不明です。そのうちの2名については、状況証拠から恐らく宇宙ステーション外に出ているはずですが、もう1名については全く分かりません。その1名は応物課のスタッフ、ヒューゴです」
 応物課の面々がざわつき、アスターは顔を強ばらせた。行方不明になったスタッフが出てしまった。
「防衛課はヒューゴの捜索と情報収集に向けて動いています。応物課にもこの後情報提供の協力をお願いしたい。防衛課からは以上です」
「分かったわ。引き続き捜索をお願い」
「彼は……」
 応物課課長の温が何かを言いかけ、途中で言葉を飲み込んだ。
「いえ。ひとまず、奇物点検の状況を報告します。
 現在保管状態が分からない奇物が252個ありました。このうち、奇物特性から場所の特定が困難な奇物が132個、こちらについては確認を後回しにしています。また、スタッフに貸与中の奇物が87個、こちらも該当のスタッフに保管状況や異常がなかったかを確認中です。その他に、保管されているはずの場所になく、行方不明の奇物が33個ありまして……こちらについては応物課と界種課で捜索中です」
 アスターは頭を押さえた。
「……行方不明の奇物があることは、また別の問題でもあるわね。ひとまず捜索と点検を急いで。後で原因分析と再発防止策を立てましょう。それから私からも一点報告があるわ。アドラー、あなたが気にしていた奇物についてだけど、ミス・ヘルタによると……」
 アスターは、ミス・ヘルタから聞いたことを全員に伝えた。
「……というわけで、ミス・ヘルタは並行世界の存在については否定的だったわ。あの方には何か別の心当たりがあったのかも。でも、ミス・ヘルタはこの件に興味がなかったみたいで、その心当たりについて尋ねる前に、通話が終わってしまったんだけど……」
「何か別の心当たり、ですか」
「他の奇物と関係しているんじゃない? とも言っていたわね」
 場の全員が考え込む中、アドラーは発言した。
「今行方不明になっている奇物からも、この事象を説明する仮説が複数立てられます。
 ただ、……個人的には、並行世界の可能性はまだあると信じたいです。ミス・ヘルタの言葉を疑うわけではありませんが」アドラーは慎重に発言した。「何事も、観測して実証するまでは、不確定のままです。今までだって、既存の宇宙理論は何度も修正されてきた」
 アスターは頷いた。どんな理論も、実証されない間は机上の理論にすぎない。提唱者が天才であろうとも、凡人であろうとも。
「応物課と界種課でも、この事象について会話をしました」
 温は口を挟み、沈痛な面持ちをした。
「私たちは、行方不明になったヒューゴが何らかの奇物を持ち出し、この事象を起こした可能性が高いと考えています。ここ最近の収容庫への出入りを洗い出しましたが、彼には不審な入退室履歴が見られました。この推論が当たっていた場合、事象解明のためにも、彼によって持ち出された奇物の特定を急ぐべきだと考えています」
「分かったわ」アスターは目を閉じた。
「ヒューゴの捜索・確保が最優先ね。防衛課は捜索体制を強化して。応物課と界種課は、防衛課への情報提供と……引き続き、奇物の収容状況の整理をお願い」

   *

「トパーズさん、ごめんなさい、変なことに巻き込んでしまって」
『ああ、いいのいいの! そんなに急な案件もなかったし、今は別の星に向けて航行中なんだ。……まあほら、代わりにと言ってはなんだけど、今度信託基金絡みの案件で便宜を図ってくれない?』
「もちろんいいわよ。今回は迷惑をかけてしまったものね」
『ありがとう〜! 助かるよ〜! ……まあ、こっちも包み隠さずに言うと、戦略投資部としては、あなたに貸しが作れてちょうどよかったかな〜』
「もう〜……やれやれ……」
 口では呆れて見せたが、内心ほっとした。言外に、そう気に病まないでと伝えられたのだと思う。これが例えば、他の大物も巻き込んだりした場合には、もっと大事になったはずだ。
「体調は大丈夫? 今判明した範囲の事象は報告書で送った通りだけど、確認できた?」
『ざっと読んだよ。私も似たような夢は見たけど、悪い夢、ってほどじゃなかったかな。意外な夢だったけどね。部下達も大丈夫そう』
「そう……夢で体調を崩す人も結構いたの。トパーズさん達は後でカンパニーのケアにかかると思うけど、そういった可能性があることは念頭に置いておいて。
 本当に申し訳ないのだけど、この事象がいつどんな範囲で起きるのかも判明していないの。追加で分かったことがあれば、また送るわ。
 じゃあ、道中お気をつけて。良い航行を祈っているわ」
『じゃあね〜! そっちも良い結果になることを祈ってるよ』

   *

 アスターはトパーズとの通話画面を閉じた。
 外の慌ただしさが嘘のように、自室はいつもと同じく静まりかえっている。アスターはゆっくりと窓辺に歩みを進めた。
 硬質な足音が反響し、その音を聞くのはアスター一人。
 窓辺に映るのは無数の星々、そして硬い顔つきをした自分一人。
「…………」
 もう夜も深いのに、眠ることに逡巡している自分がいる。
 防衛課は夜を徹してヒューゴを捜索している。アーランも捜索の指揮を取っているはずだ。
 監視カメラから彼が外に出たとは判断されなかった。彼はまだ宇宙ステーションのどこかにいるはずだ。宇宙ステーションの居住可能区域は一つの星に比べればそれほど広くはないが、それでも人一人が身を隠すには十分な広さがある。
 分かっている、自分が今ここでできることは限られていると。
 今日はよく眠って、万全の状態で翌朝を迎え、スタッフ達を指揮すべきだと。

 いや、違う、それだけじゃない。
(アーランにはああ言ったけれど)
 眠るのが怖い、と思うのは初めての感覚だった。
「昔も確かに眠りたくなかったな」
 アスターはそう独りごちる。
「けどそれは、眠るのが怖いからじゃなくて、つまらない明日の朝を迎えることが嫌だったから。窓の外から星空を見上げて、ずっとこの夜が続けばいいのにって……夜更かしして怒られたっけ」
 思い出す。望遠鏡に囲まれ、星の研究に没頭することを許されて、ただしそれが、まだ子どもだからと期限つきで許されていたことを知ったときのことを。
 自分の運命は既に定められていると、知ったときのことを。

 今、数奇な縁を得てその運命の軌跡から飛び出し、アスターはここに立っている。
 今歩んでいる道がずっと続けばいいのにと願っているからこそ、違う選択をした自分を知ることは恐ろしいことでもあった。

 それでも生命体は、いつかは眠りに落ちなければならない。

[newpage]
[chapter:*branch/6669 無名の惑星で]

 雪原の中に建つ観測塔の屋上で、少女がつぶやいている。
「ああ、星空が綺麗だな……」
 雲一つない綺麗な夜だった。
 アスターは星の観測のために屋上にいるけれど、かつて扱ったような最新鋭の観測機器は、ここにはない。今ここにあるのは、備え付けの古びた望遠鏡と、手で持てる大きさの小さな望遠鏡だけ。
 アスターが実家から持ち出せたのはその小さな望遠鏡一つだけで、持ち出す望遠鏡としてそれを選んだのはアスター自身だった。一番長く使った、一番愛着のある望遠鏡。
 ここはオブリ星系に位置する小さな惑星の一つ。カンパニーの星図には辛うじて載ってはいるが、無機質なIDしか振られていない惑星だ。ここを訪れるまで、アスターはそれ以上のことを知らなかった。
 本当に大変だった。
 親族達にばれないように綿密な計画を練り上げ、密航の攪乱に仮面の愚者を頼り、密航自体は成功したものの仮面の愚者には途中で裏切られ、結果的に当初の計画とは全く違うこの惑星に落ちたのだけれど、目的からすれば悪くない結果にはなったのだろう。
 いくらスターピースカンパニーとはいえ、広大な星海からちっぽけな人一人を、しかもこんな辺境の惑星から見つけ出すのは、きっと大変なはずだ。もう諦めているかもしれないし、まだ探しているかもしれない。あるいは何らかの技術を使えば、アスターの居場所は簡単に見つかるのかもしれないけれど。
 だからこの先、アスターは選択肢をしなければならない。怯えながらこの星で生涯暮らすか。見つかるリスクを取り、どこかの勢力に入ってカンパニーに脅かされないだけの地位と力を身につけるか。それとも。
 逃亡の選択をしてから、たくさん後悔をした。「甘やかされて育った」と、かつて皆がアスターのことをそう評した。かつてはその評価に反発もしたけれど、確かにそうだ。自分は甘やかされて育った。そのことを今は、素直に認めることができる。飢えも寒さも、ただ見聞きしたことしかなく、実際に自分で経験すると随分と堪えるものだった。
 星の観測の前に、生きるということにこんなに苦労するとは思わなかった。今はなんとか現地の人々やアーランの手助けもあってやってはいけているが、アスターは明日自分がどうなるのか分からない不安の中にいる。
「ああ、日々を生きるのにもこんなに苦労するなんて……。こんなことなら、あの家から出るんじゃなかった、かしら」
 後ろの言葉は小さく尻すぼみになって、空中に消えていった。
 きっと今戻れば、家の者達はアスターを手厚く保護し、もう衣食住に困ることはないだろう。
 そして、こんな馬鹿なことはしないようにきつく言い含め、もう二度と、アスターを外には出さないだろう。
「……だから、私は戻らない」
 戻らない。そう決めたのは自分だ。そう決めてしまったのだから、自分の手でこの選択を覆すわけにはいかない。
 私は私の手で、自分の運命を掴み取ってみせる。
 お嬢様、無茶はやめてくださいね、と懇願するアーランの声を思い出して、つい笑みをこぼした。もうお嬢様と呼ぶのはやめてと言ったのに、彼はついそう呼び続けてしまうのだ。彼に安心を与えるためにも、いつまでも苦しい思いをしているわけにはいかない。
 そこでふと、雪原の向こうに人影が見えた。
「……ん、誰?」
 随分と寒そうな格好をした少女。顔は……
「……え、私⁉」

   *

 アスターは笑いをこらえた。きっと、一番最初に話した〝アスター〟も、そっくりな自分を見て驚く自分をこんな目で見ていたのだろう。
「え〜っとね……ことの背景を説明すると長いんだけど……」
「あなた、寒くないの⁉ そんな格好をして……ほら、この毛布を貸してあげる」
「あれ、全然意識してなかったわ。ありがとう、確かに寒くなってきたかも……」
「……ところであなた、カンパニーの追手じゃないわよね? まさか、私のクローンだったり……」
「あはは! それは違うから安心して」

   *

「ええっ……そんなことが……」
 彼女の表情は豊かだった。恐らく境遇によるものだろう。他人と仮面をつけて接しなくていい環境に、彼女はいる。
「並行世界の自分と交流できる、なんて……はじめて聞いたわ」
「そうなのね」
 アスターは頷き、簡単な自己紹介をした。
「ええと……私は、ミス・ヘルタの元で、宇宙ステーション『ヘルタ』で所長をやっているの。今回たまたまこの並行世界に飛ばされたみたい」
「ミス・ヘルタ……ああ、天才クラブの」
 あまりピンときていない様子で、〝アスター〟は首を傾げた。
「宇宙ステーションの所長として働く⁉ ええ〜、そんな選択肢があったんだ……」
 その〝アスター〟は空を見上げた。アスターもつられて空を見上げる。大きなガラス窓に、満天の星空が——アスターが見たことのない形で——広がっている。ここはきっと、アスターが訪れたことのない星系なのだろう。
「そうなんだ。たぶん……私にはそんな選択は訪れなかった」彼女はぽつりと言った。
「あなたは? 今、何をしているの? ここは……」
「親族達から逃げてきたの」彼女は自嘲するような笑みを含ませた。
「結局星の研究の夢を叶えられそうになかったから、逃げてきちゃった。ここはカンパニーの手がそれほど届いていない辺境の星系で、星の観測塔。私はここで星空を眺めながら、今の暮らしを安定させるためにあちこちで働いているの」
 アスターは衝撃を受けた。目の前の少女が、随分と大きな存在に思えた。果たして自分だったら、そこまで思い切ることができただろうか?
「ど、どうやって生活しているの?」
「仕事をいくつか得たから、食べてはいけてるの。この星系では天外からの来訪者は重宝されるんだ。無駄遣いはできないけどね」
「そうなのね。無駄遣いができない……?」
 想像したこともない境遇だ。固まっているアスターを見て、〝アスター〟は苦笑いをした。
「うーん、確かにショッピングなんて、もうずっとしていないなあ……懐かしい。ここではそもそも、何でも手に入るわけじゃないから」
 〝アスター〟の目に郷愁が浮かぶ。
「……私には、あなたの選択がまぶしく見えるわ。私はほら、主体的に選択したわけじゃないから」
「……どうだろう。私も、もし選べたのなら、そっちの道を選んだんじゃないかな。問題は選べなかったってことだけど。この道は……とても大変だと思う。うまくいくといいんだけど」彼女はぽつりとつぶやいた。
「まだ何も結実していない。何も結実していないけど、この先に道があるって、私は信じているから。まあ、信じるしかないんだけどね」
 その瞬間、星空に青白い筋が現れ、すぐさま消えた。二人のアスターはぱっとそちらを見たが、すぐにその流星は消えてしまった。
「あ! うわ〜……そうなの、今ちょうど流星群がピークなのよ。この光景を見たくて夜更かししてたんだ」
「あら! じゃあ邪魔しちゃったわね、ごめんなさい」
「いえ、いいのよ、とっても面白い話を聞けたから。それに眠くて凍え死にそうだったの」
 〝アスター〟は笑った。
「あなたも星が好きよね? ほら見て、ここだと……あの羊みたいな星座が有名なんだ」
 星空を見上げたまま、〝アスター〟はぽつりとつぶやく。
「私はこれを手に入れたかった。ここでは何にも煩わされることなく、星を見ることができるの——」
 囁くような声。安堵と充足、そして一抹の寂寥。

 アスターはその世界線での残り時間を、ずっと星を眺めておしゃべりしながら過ごした。

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[chapter:*branch/137 星の見えない場所]

 どこか見覚えのある風景。
 アスターは顔をしかめた。ここは——カンパニーの施設だ。たぶん訪れたことはないけれども、机、棚、端末——あらゆる内装の形式がそう主張している。
 全てが効率という物差しの元設計された部屋。
 目の前に、女性が一人座っている。その女性は、無機質な表情で書類をぱらぱら確認し、電話で指示を出している。ふと、彼女が顔を上げた。
「どなた?」
 彼女は微笑んでいたけれど、その瞳は鋭く硬質で、精彩を欠いていた。
「……あなたは」
 緊張が全身を駆け巡った。アスターはその正体を知っていた。
 そこにいるのは、実家から逃れられなかった自分だ。
 ミス・ヘルタの気まぐれに遭遇できず、実家の檻から逃れられなかった自分。
 あるいはもしかしたら、家の運命から逃れられず、青春の終わった自分自身の未来かもしれない。
「はじめまして。私はアスター、いわゆる並行世界から来たの。あなたは……こういうことは経験がある?」
 説明には、少々緊張が伴った。変な気分だ。自分が詐欺師になった気分。
「ええ、知っているわ」彼女は間髪入れずに答えた。「かつて、あなた以外にも無数の〝私〟がここを訪れたから」
 そうして微笑んだ。
「この世界は、特に面白くはないと思う。あなたは私の選択を選ばないし、選びたくない。もしかしたら知りたくもないかもしれない。あなたはここで、私と交流しなくてもいいし、この世界の別の場所を見に行ってもいい。書架に案内することもできるわよ。
 ……でも、もしよかったら、少しお話をしましょう。あなたの話を聞かせて? 私は、違う世界の私の選択には、結構興味があるの」

   *

 アスターは自分の辿った軌跡を少し固い態度で語った。目の前の自分のことを考えると、口は重く、喋りはぎこちなくなった。恐らく目の前のアスターもそのことに勘づいていただろうが、彼女は柔らかい微笑みを湛えたまま、心地よい相槌を打った。アスターは目の前のアスターがあえて技術・・を使っていることに気づいた。相手に心地よく話させるための、そして話を引き出しやすくするための。
「ミス・ヘルタに拾われる……そんな選択肢があったのね」
 彼女はそうつぶやき、目を閉じる。どこか苦痛を堪えているようにも見える。
「嫌な話だったなら、ごめんなさい」
「いいえ、あなたが謝ることじゃないわ。私が話してほしいって言ったんだから」
 彼女は目を閉じたまま微笑んだ。
「ええ、……正直なことを話すと、確かにあなたたちの話を聞くのはとても苦しいし、悔しい。でももうこの感情には慣れてしまったの。今はそれよりも、情報を得ることに関心がある。
 私には一つしか見えなかった道には、実は複数の分岐があった——その選択肢は私が見落としていただけか、この世界には訪れなかっただけ。だからもしかしたら、この世界の先にも——その選択の分岐、私がつかみ取りたい分岐があるかもしれない」
 彼女は目を細めて、力強く微笑んだ、
「だから、できるだけあなたたちがどういう選択をしたのか、聞くことにしているの。もう二度と、何かの選択を見落としたくないから」
 アスターは考えた。もし自分がミス・ヘルタに謁見しなかったら、彼女のように恒星の光にも照らされない星のままだったら、どうなっていただろう?
 そしてもしこの先、実家に連れ戻されることがあったら?
 〝アスター〟が辺りを見渡して、こっそり笑う。
「私達、結構聞かれたらまずい話をしているかも。もちろん日々が充実してないってわけじゃないのよ、余暇で星の観測もしているしね。まあでも仕事は……面白いこともあるけれど、頭が痛いことの方が多いわ。正直、続けたいものじゃないわね」
「本当に同情するわ」
 アスターは心からのため息を込めて同意し、続けた。
「私も、あの親族達の思惑からまだ抜け出せたわけじゃないの。彼らはまだ私が跡を継ぐことを諦めておらず、虎視眈々とその機会を狙っているから」
「そうなのね。あなたの人生がずっと幸運でありますように」
「あなたの人生にも、いい選択が現れることを祈っている」
 〝アスター〟は微笑みながら頷いた。
「とはいえ、他の人からすれば、私はうらやましい境遇なんでしょうね。宇宙で最も大きな共同体の名家出身で、何の苦労もなくその恩恵を受けられるんだもの」
「でも、例え他人が羨むような生まれだったとしても、私達自身はその場所に留まることを望んでいるわけじゃないでしょ」
 アスターは即座に言い返し、〝アスター〟は少し無防備に微笑んだ。
「本当にその通り。いいわね、私もあなたの世界を見に行きたいわ。ミス・ヘルタに会ってみたい。会えば、私の人生も何か変わるかしら……そういえば彼女のことは、遠目に拝見したことしかないの。今度、あなたの世界を観測しようかしら……でも、特定の世界に焦点を合わせるのって結構難しいのよね」
 そうだわ、とアスターは屈み込み、何かを取り出した。
「あなたたちの話を聞いて、私も奇物〝並行宇宙望遠鏡〟を手元に取り寄せたのよ。入手には結構苦労したんだけどね」
「……あ! 見たことあるわ、それ。一回使ったことがあるけど……」
 アスターはそこで顔をしかめた。
「すっごく扱いが難しかった。正直、あの感覚はもう体感したくないかも」
「ここに来た全員が、そう言うわね」
 〝アスター〟はくすりと笑った。そうして、その望遠鏡を大切そうに撫でる。
「でも、不思議だわ。私達にとって望遠鏡は特別な意味を持つけれど、その望遠鏡で自分の可能性さえ覗き見れるなんて。運命の悪戯ってやつかしらね」

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[chapter:*scene/3 探索]

 その一報は、早朝の身支度中にアーランからもたらされた。
『行方不明になっていたヒューゴですが、反物質レギオン侵入の影響で封鎖されていた区域で見つかりました。命に別状はないとのことですが、今は昏睡状態で、医務室で検査中です。
 また……彼の傍で、紛失していた奇物が二つ見つかりました』
「その奇物二つって、何?」
『俺からは何とも。アドラーが確認中です』
「分かった、お疲れ様。今すぐそっちに行くわ。近くの関係者を会議室に招集しておいて」

   *

 医務室の近くの部屋で、緊急対策会議は行われた。
「ヒューゴの近くで発見された奇物は二つでした」
 シンクルが説明を始める。机の上に、二つの奇物が置かれている。
「一つは、奇物No.1177〝可能性計算機〟、二つ目は、奇物No.445〝夢渡り望遠鏡〟。詳細は……」
「僕が説明します」
 アドラーが引き継いだ。多面サイコロ型の奇物を指さす。
「奇物〝可能性計算機〟は、今この現実から逆算して世界の分岐点を算出し、ありえた可能性を演算します。この奇物は、少なくとも収容された時点から現在までずっと、膨大な量の可能世界を並列で演算し続けています」
「可能世界? 待ってくれ。つまり……」別のスタッフが口を挟んだ。
「ええ。我々が夢で見た、別の自分がいる世界は——恐らくこの機械の演算結果ではないかと推測されます」
 会議室がざわめいた。別のスタッフがアドラーに問う。
「でも、じゃあどうして……私たちは夢でこの機械の計算結果を見たの?」
「その説明は、……うーん、結構ややこしい話になるかもしれません」
 アドラーは肩を竦め、もう片方の奇物を指さす。小さな望遠鏡の形をした奇物。
「少なくともヒューゴに関しては、この二つ目の奇物が関連しています。
 この奇物は〝夢渡り望遠鏡〟というもので、他人の夢を覗き見ることができます。また、ピントを特定の夢に合わせることで、その夢に渡ることもできる。だから〝夢渡り望遠鏡〟なんです。
 状況から察するに……ヒューゴはこの二つの奇物を無断使用して、〝可能性計算機〟の並行世界の中から、自分が見たい世界を〝夢渡り望遠鏡〟で見ていたんでしょう。そして恐らく、今も見続けている」
 アーランが口を挟んだ。
「押収したヒューゴの研究日誌によると、彼は何度も同じことを実施したことを仄めかしていました。『機械の夢を見た』『違う世界の夢を見た』と」
「他人の夢を、覗き見る」
 その奇物の形状をしげしげと見て、アスターははっとした。
 これを見たことがある。夢の中で、何度か。
「その望遠鏡……確か何回か夢の中で見たわ。並行世界を渡るための奇物だって紹介されたの。実際は夢を渡るための奇物だったのね。だから、」
 アスターは一種、言葉に詰まった。
「私達は本当に並行世界と接続しているわけではなく……ただ、機械の演算結果を——機械の夢を見ていた。夢の中の彼女達アスターは、この奇物を使い、同じく夢の中の並行世界演算結果を観測していた……」
 その声には安堵の色が乗っていたが、少し落胆しているようでもある。
 あれら並行世界は現実のものではなく、夢の中で出会ったアスター達も現実ではなかった。そのことへの安堵と落胆、一方で、あれらすべてが奇物の演算結果だったということへの衝撃が入り混じる。
「でも、ちょっと理解しがたいんだけど、この可能性計算機が演算している並行世界も、この奇物は夢と見なすのね? それは、夢……って言えるのかしら?」
「ええ」
 アドラーは頷いた。
「僕も今回初めて知ったのですが、あの奇物はそう判断するようです。
 ……思うに、『夢を見る』という言葉には意味合いが複数あります。よく言われる『眠っている間に見る意識的な体験』のことと、その他——『将来実現させたい物事』や『今ここにはない現実を空想すること』。
 後者の意味合いの『夢を見る』は、考えようによっては機械が行う演算に等しい。この夢渡り望遠鏡は、可能性計算機の演算を〝夢を見ている〟と判断したのでしょう。
 ただし、我々が見る通常の夢とは違うところは——この機械は大量の並行世界演算し続けている見続けているということです」
 アスターは〝可能性計算機〟を見た。特に際立った特徴はない多面サイコロだ。この奇物の中に幾千万の夢が眠っているとは、誰にも想像がつかないだろう。
「……なるほどね」
 アスターは嘆息し、続ける。
「ヒューゴが引き起こした事象については理解したわ。この二つの奇物の詳細についても。でも、これだけじゃ説明のつかない事象が一点あると思うんだけど。
 どうして私達、つまりこれらの奇物を使用しておらず、本来関係ないはずのスタッフにも、無差別に同じ事象が降りかかっているの?」
「おそらくその答えは、タイミング的にも奇物の効果的にも——先日ミス・ヘルタによって持ち込まれたばかりの奇物、〝世界伸縮プリズム〟の影響でしょう」
 温が発言し、アスターはああ……と思い返した。
「あの、空間と空間をつなぐ奇物ね」
「ええ。調査の結果、あの奇物はより特殊な収容ケースでないと、奇物の影響を遮蔽しきれないことを確認しました。通常の収容ケースに収められている現状では、この〝世界伸縮プリズム〟は憶質をあちこちにばらまき、その憶質を元に世界をつなげてしまいます。その結果……」
「ああ……じゃあ、この〝世界伸縮プリズム〟が宇宙ステーションに持ち込まれたタイミングで、私たち宇宙ステーションにいる全員に影響が拡散し、夢を見たってわけなのね」
 アスターは頭に片手を当てた。複数の奇物による複合的な作用となると、厄介なことになった。
「この事象を解決する方法に、何か見当はつくかしら?」
 スタッフ達が顔を見合わせ、議論を始める。
「〝可能性計算機〟の演算を中断させるのはどう?」
「いや、やめておいたほうが無難だろう。今までずっと動き続けていた奇物だぞ」
 ある小柄なスタッフが意見を述べた。
「少なくともスタッフ達が無差別に夢を見てしまう件については、〝世界伸縮プリズム〟の収容ケースを、憶質を通さないものに変えれば解決できると思います。〝可能性計算機〟の並行世界が、我々の夢と勝手につながってしまうのは、このプリズムが無差別に夢同士をつなげていることが原因ですから」
 ある眼鏡をかけたスタッフが手を上げる。
「ただ、懸念点一つがあります。彼……ヒューゴがまだ目覚めていないことです」
「そもそも、彼がまだ目覚めないのは何故なんだ?」とアーランが口を挟む。
「それはまだ分かっていません」と医療課のジョアン。
「押収したノートによると、過去に彼が同様の事象を試した際は、普段と変わらず自然に目覚めていたと推測されます。つまり、今は何かイレギュラーな事象が起こっていのでしょうが……それが何故なのかはまだ分かっていません」
 眼鏡をかけたスタッフは頷き、続けた。
「一番最悪の事態は、夢との接続を切ってしまった後、彼の意識が戻らないことです。彼の意識が夢の中に取り残されたまま、消えてしまう……ということも、もしかしたらありえるかもしれない」
 会議室全体が重苦しい雰囲気に包まれる中、ずっと考え込んでいたアドラーが発言した。
「夢を見ている彼の状態をもっと解析した方がいいかもしれません。この〝可能性計算機〟の演算結果を確認する方法は、〝夢渡り望遠鏡〟のような奇物で直接観測する以外にもあります。確か……ほら」
 アドラーは多面サイコロ——〝可能性計算機〟の一つの面を器用に操作し、ある物体を抜き出した。それは光を拡散してキラキラと輝く、よく知られている物体だ——光円錐。
「ほら、これだ。見てください。この奇物の演算結果すべての夢は、すべてこの記憶媒体である光円錐に保存されているはずです。この光円錐に保管されたログを見ることで、何か……彼が昏睡している原因や、この事象の解消方法の検討がつくるかもしれない」
「なるほど……。分かったわ、界種課と応物課で解析をお願い」
 そして、全員に向き直る。
「ひとまずログの解析と、ヒューゴが自然に目覚めないかを待ちましょう。ヒューゴが目覚めたら……いえ、全スタッフが目覚めていることを確認してから、〝世界伸縮プリズム〟を隔離して。幸いにも、可能世界の夢を見る以外に私たちへの影響はなさそう。そうよね?
 夢から目覚めさせる方法……そうだ、星穹列車の皆にも私から聞いてみましょう。ちょうどピノコニーにいるはずだから、何か手がかりをくれるかも」

   *

 メッセージを送ったところ、2システム時間後には開拓者が宇宙ステーションに訪れた。いつものことながら、フットワークが軽い。
「アスター、メッセージ見たんだけど」
「あら、よく来てくれたわね! ごめんなさい、忙しくなかった?」
「大丈夫。ピノコニーでの冒険も一段落したところだから。今日はどうしたの?」
「そうなの、実は……」
 アスターは開拓者に今の状況を説明し、開拓者は考え込んだ。
「自分の過去の可能性の夢……へえ……ちょっと興味あるかも。私の過去って結局よく分かってないから」
「確かに……私もあなたがどんな夢を見るのかには興味がある。興味があるなら、もしかしたら今日ここに泊まっていけば夢を見られると思うわよ。でもまずは、夢から目覚めなくなった人をどう目覚めさせればいいか、教えてほしいの」
「夢から目覚めなくなったスタッフを目覚めさせる方法? そんなの簡単だよ」
 開拓者は自信ありげに笑った。
「相手と夢の中で戦って、勝てばいいから」
「……そういうもの?」
 アスターは半目になった。ふざけているのか、真面目に言っているのか分からない。
 そこでシンクルから声がかかった。
「所長、解析結果がおおよそ出ました!」

   *

 端末を操作し、アドラーはとある立体データをモニターに映し出した。
「この光円錐のログをおおよそ解析しました。その結果、この機械は現状、7204208通りの世界を並行して演算し続けていることが分かりました。このグラフは、それぞれの夢同士の分岐点を図式化したものです」
 映し出されたのは、樹形図のような形状のグラフだ。ある地点から、夢を表す点と夢同士のつながりを示す線の束が大幅に増加している。融合と分散を繰り返す複雑な形の樹形図。
 どこかで似たようなグラフを見たことがあるような、とアスターは考え、2番目に会った自分が見せた立体データのことを思い出した。
「ある時点から、爆発的に並行世界の数が増えているのね。それに……分岐したり、つながり直したりしている」
「はい、この赤い点が奇物〝世界伸縮プリズム〟の影響を受け始めた地点です。どうも、並行世界と我々の夢が結びつくことで、このように機械の並行世界が爆発的に分岐したようですね。
 意識体・ヒューゴの干渉履歴を洗い出しましたが、この赤い点より前から、彼はこの機械の夢群の中に度々出入りしていました。それがこの青い点です」
 立体データのうち、複数の点が青に染まる。その青は、赤い点——爆発的に並行世界の数が増える以前に数点あり、その後にも点々と存在している。
「彼は元々、特定の範囲の並行世界を閲覧することを繰り返していたようですが、奇物〝世界伸縮プリズム〟が持ち込まれた段階で、並行宇宙は急激に膨張しました。この時点から、夢と夢は干渉し合い、独立していた〝可能性計算機〟の個々の夢演算結果はつながりを持ち始めています。
 ……ヒューゴは恐らく、この夢の構成の変化を受けて、現実世界に戻るパスを失ってしまったのでしょう。彼は今、特定の範囲の夢を順々に渡り続けているようです」
 赤い点の上にある複数の青い点を指し、アドラーは付け加えた。
「そしてもしかしたら、彼自身も夢から覚めたくないと思っているのかもしれません。彼のノートを見る限り、彼は随分とこの事象に、精神的に依存していたようですから」
 応物課の温課長は肩を竦めた。奇物の無断使用は懲戒ものなので、それが何度も行われていたとなると、さぞかし頭が痛いだろう。
「そしてもう一つ、特筆すべき事象がありました。ヒューゴが見ていた並行世界と、よく重なり合っている世界があったんです」
 樹形図に緑の点が新たに増える。
「それは、とあるスタッフの……」
「私です」別のところから声がした。アスターはそちらに目を向けた。界種課の研究者だ。名前は確か、マヤ。
「あなたは、確かヒューゴと親しかったわよね」
「ええ」
 彼女は少し沈黙し、そして静かに声を上げた。
「私は確かに、彼のことをよく夢で見ました。ある夢で見た彼は……随分と幸せそうだった。……あれは、彼が見ていた夢でもあったのかもしれませんね。彼と私は、ほとんど同じ夢を見ていたようですから」
「その話を聞いて、僕も思ったんです」アドラーは続けた。
「彼を現実世界から働きかけて目覚めさせるのは、恐らく困難です。でも、夢の中から接触すれば、彼を目覚めさせることができるかもしれない」
「夢の中から、ヒューゴに目覚めるように働きかける、か……ちょうど、開拓者とも同じようなことを話していたの。可能性はあるわね」
 アスターは斜め後ろにいた開拓者と視線を合わせた。開拓者は頷く。
「私達は並行世界の〝私〟と、対話さえもできたのだから」
「ええ。だからきっと、私の夢から彼に干渉することができるとは思うのですが……」
 ただ、とマヤが心配そうに発言した。
「どうやって彼を目覚めさせればいいのでしょうか?」
「まあ、心配しないでいいよ。私がやり方を教えてあげる」
 ついに開拓者が口を挟んだ。
「あなたは……」
「銀河打者だよ! じゃあ方針も決まったし、早速夢の中に行こう」
 そう言い、開拓者はマヤの手を握ると、無造作に奇物に近づいていった。あまりにも自然な動きで、誰も阻止できなかった。
「……ん⁉ ちょっと待って、何を——」
 アスターがついに声を上げ、奇物を手にした開拓者の手をつかんだ瞬間、開拓者は奇物〝夢渡り望遠鏡〟を無造作に覗き込み——その瞬間、アスターの視界がぐわりと歪んだ。
「え⁉」
「所長⁉」
 スタッフ達のどよめく声が耳の中にぐわんと残る。
「お嬢様‼」
 ひときわ切羽詰まったアーランの声が、引き延ばされたように聞こえて。
「ちょっと——もう!」
 こうして教訓が一つ生まれた。奇物を開拓者の手の届くところに置いてはいけない。

   *

 はっ、と意識が戻った。辺りを見渡す。ここは宇宙ステーション「ヘルタ」、主制御部分。全体を見渡すためによく立つ位置に、アスターは立っていた。
 そして、その横に開拓者が立っている。
「あ! あなた……もう、段取りってものがあるでしょ!」
「ごめんごめん。ここは?」
 開拓者は辺りを見渡した。
「宇宙ステーション? ここ、夢の中だよね?」
「……はあ。あなた、〝夢渡り望遠鏡〟を覗いたのよね。つまり、ここは……確かに夢の中だと思う。そして私達も、何故かあなたに巻き込まれた。
 恐らく、向こう側の私達は強制的に眠りについたはず。やれやれ、どうしようかしら……あ、」
 とある女性が、手を振りこちらに駆け寄ってくる。マヤだ。
「所長! よかった、ここは……あっいえ、先ほどのことは覚えていますか?」
 その意味深な問いに、確信を持って答えた。
「ええ。私たちは奇物の中で夢を見ている、そうよね?」
「その通りです。よかった、夢の中のあなたに声をかけてしまったと思って」
 安堵をにじませる彼女にアスターは微笑みを返し、開拓者を一睨みした。
「私たちはさっき不幸な事故で、同じタイミングで〝夢渡り望遠鏡〟から夢の中に入ってしまったみたい。だから、おそらく同じ夢を見ているのでしょうね」
「となると」彼女ははっと気づいたように目を見開いた。
「私たちは、ここでヒューゴに会えるでしょうか」
「ここがまだどこの誰の夢か分からないけど、可能性はあるわ」
「先ほどの話からすると、私なら、ヒューゴに介入して彼を目覚めさせることができるかもしれないんですよね?」
「そうね」
 アスターは短く考え込んだ。
「……このまま夢が終わるのを待つより、早く実行に移してしまった方がいいかもしれない。とはいえ、ここがどこの夢なのか分からないけど……」
「アスター、安心して。さっきちゃんと、あの青いマークがついていた並行世界に渡ったよ。ヒューゴはこの夢を見たことがあるはず」
 アスターは驚きを通り越して呆然とした。以前自分も夢の中で使ってみたことがあったが、大変難解だった。とてもあの短時間で狙いをつけられるとは思えない。
「本当に? あなた、よくあんなの扱えたわね……」
「ナナシビトは跳躍のとき、よくこういう道具を使うらしいよ。丹恒が前教えてくれた」
「さすがだわ。……じゃあ、まずはこの夢の中で彼を探してみましょう。マヤ、心当たりがある場所を案内してくれる?」
「では、まず……主制御部の談話室に行きましょう。彼はよくそこにいましたから」
 3人は歩き始める。手持ち無沙汰なのだろう、開拓者がマヤに問いかけた。
「さっきの話を聞いてて気になったんだけど。彼とは仲良かったの?」
「ええ。彼と私は、よく話をする同僚でした」
 そこで彼女は肩を竦めて、苦笑いする。
「そうだ、この事象を解決するためにも、彼と私の背景についてお話しした方がいいかもしれませんね。所長はご存じかもしれませんが、私はここの星系外の、とある惑星から来ました。一方、彼はブルーの出身者で、私達は出自も来歴も全く違うこともあり、最初はまるで話が合いませんでした。
 とはいえ私たちは同じ時期に宇宙ステーション『ヘルタ』に来ましたから、自然と親しくなり、よく話をしました。彼は私の知らない価値観を教えてくれ、様々な哲学的な命題について意見を交わしました。ブルーの娯楽について、食について、生命について。その時間は刺激的で楽しくもあり、確かに私の研究にもインスピレーションを与えてくれました」
 彼女はふっと懐かしむように笑った。
「私の故郷は貧しく、娯楽などはあまりありませんでした。故郷は気候変動の影響を受け、人々はこのまま住み続けるか、別の星に移住するかの選択を迫られています。政府は必死で滅亡を回避する術を探していて……私は故郷がなくなる未来を食い止めるために、ここに研究に来たのです。
 一方、彼は研究に対してあまり真面目ではありませんでした。まあ、彼だけではなく、他のスタッフにも言えることではありますが……。最初はよく分かりませんでした、どうして自身の研究課題に対して真面目に取り組まず、目先の釣り針につられてあちこちで時間を浪費してしまうのか」
 彼女はそこで言葉を区切り、こちらと視線を交わして微笑んだ。
「まあ、当時研究がうまくいっていなかった私が言えることではないんですけどね。
 彼は実際は、いろんな分野に幅広く手を出すことで一定の成果を出していました。所長もご存じですよね? 彼は、一つの研究課題を突き詰めることはせずとも、複数の分野を横断してアイデアを応用することが得意だったんです。私が彼から学ぶところが多かったのも事実です。その研究アプローチから……そして、彼の楽観的な姿勢からも」
 彼女はそこで何かを言うことをためらった。
「けれども……いいえ、着きましたね。あれは……」
「ええ、彼だわ」
「誰?」
「ヒューゴよ。ほら、あそこの栗色の髪のスタッフがそう」
 そこで響き渡る怒号が聞こえて、全員びくりと震えた。
『君は……どうして僕のことを分かろうとしないんだ⁉』
『あなたの言っていることが、全部間違っているからよ!』
 ヒューゴとマヤ、二人が言い争っている。アスターと開拓者は怖々とマヤを見た。彼女は眉を下げる。
「おそらく……ここは、私が一番最初に見た夢です」
 彼女は自嘲するように淡々と話す。
「私はこの夢を一番最初に見て、端的に言うと落ち込んだんです。私は彼とは仲が良い、少なくとも比較的うまくやれているのだと思っていました。けれども……彼から見た私は、あんな感じだったんでしょうか?」
「気にすることはないわ」
 アスターは端的に指摘した。
「先ほど結論が出たでしょう、私たちが見ている夢は、現実世界と異なる可能性にすぎないって。つまり、この夢の内容と、現実の彼があなたをどう思っているかは無関係よ。ショックを受けるのは分かるけど、考え込みすぎるべきじゃない」
 そう指摘すると同時に、アスターは自身の胸のしこりも取れていく感覚がした。そうだ。これらの夢は、自分が選ばなかった世界線にすぎない。
「……そうですよね。ありがとうございます、所長」
「ここの夢って変なのを見せるよね。私もここに来る前、一瞬別の夢を通り過ぎた気がしたんだけど、自分の性別が別だったし」
 辺りを見回して、開拓者もそう話す。
「それに、……本体の彼は、少なくともここにいないみたい」
「ヒューゴが今見ている夢がここじゃないっていうこと?」
「そう。基本的に夢を見ている本人は、夢の中の本人の近くにいるはずだから」
 でもそれじゃあ、とアスターは考え込んだ。
「この夢からいったん目覚めないといけないかしら?」
「ここから別の夢に渡ればいいんじゃない?」
 そう言って開拓者が出したのは、見覚えのある奇物——〝夢渡り望遠鏡〟だった。
「え⁉ それ、どこから持ってきたの?」
「ずっと私の手元にあったよ。アスターが気づいてなかっただけ」
「……夢の中に奇物って持ち込めるの?」
「持ち込めてるから、持ち込めるんじゃないの?」
「……まあ、そうなのかも」
「じゃあほら、どんどん進もう。夢の渡り方なら私に任せてよ。数々の夢境を渡ってきたんだから!」
 さすが、頼もしい。アスターは胸を張った開拓者に半ば呆然としながら頷いた。
「じゃあ、いくよ。こっちに来て——」
 開拓者は二人を引き寄せ、〝夢渡り望遠鏡〟を構えた。途端、視界が暗転する。

   *

 無数の並行世界が、3人を通り過ぎていく。
「先ほどの喧嘩は、確かに夢かもしれません」
 開拓者の〝夢渡り望遠鏡〟のピントの合わせ方は確かにいいようで、3人は類似していると思われる夢を渡り歩いていた。
 途中、開拓者に変わってアスターも操作してみたのだが、特定の夢の世界にピントを合わせるのはかなり難しく、最後に会った〝アスター〟の苦笑を思い出す。
「でも、彼はここ最近、確かに私を避けるようになったんです。彼が傍目に見て元気がなくなったのもそのころでした」
 彼女は夢の中でそう淡々と指摘する。
「だからこそ分からないんです。彼が奇物を無断使用し、夢の中に入り込んでいたと聞いて、本当に驚きました。あんなに楽観的だった彼が、夢の中に閉じこもるなんて。
 もしかしたら、私は何か彼の助けになれたのかもしれません。そう後悔はするのですが……何をしてやればよかったのかは分からなくて」

   *

 ある夢で、3人はまた、ヒューゴがマヤと話している世界線に辿り着いた。
「あ、……いました。彼、私と会話していますね」
「この世界だと、仲良さそうだね」
 確かに二人は随分と親密そうだった。主制御部分で、笑い合って会話をしている。
『最近研究は順調みたいね!』
『そうなんだ。この前研究が正式に承認されてね——』
 あ。
「……止まって!」
 そちらに向かって歩き出そうとした彼女たちをぐいと引っ張り、アスターは囁いた。
「見て。見つけた——〝夢を見ている〟彼よ」
 近くのゴミ箱の横に、ヒューゴが座り込んでいた。彼はうつろな目をしていて、おそらく——この夢にさえ、意識が向いていない。
「どうする? バットでぶっ飛ばす?」
 開拓者は一応アスターにお伺いを立てた。
「いえ。荒々しい手段に出る前に、できれば彼がこんなことをした理由を知りたいわね。言葉で説得できれば、それに越したことはないんだけど……」
 開拓者はうーんと考え込み、提案した。
「じゃあまず、彼の心の声を聞いてみる?」
「……そんなことできるの?」
「うん、ここはピノコニーじゃないけど、同じようなことはできると思う」
 開拓者は自身の運命を切り替え、時計屋の帽子を被る。
 そして少し考え、格好つけるために指を鳴らした。
「——クロックトリック!」

   *

 僕は昔から、継続して情熱を傾けられることはなかった。
 興味を持てるものはたくさんあるけれど、それは多岐に渡っていて、何か一つの物事をずっと継続することはできなかった。
 恐らく自分は研究者としては向いていない人間なのだろう。そのことに気づくのが、遅かったかもしれない。
『でも、アンテナが広いのはいいことよ。私もよく助かっているもの』
 彼女はそう評したけれど、僕は彼女こそがうらやましかった。
 彼女のように、何かの研究にひたむきにかけられる情熱もなく、意志もない。
 かといって飛び抜けた天才でもなく、複数の研究を並行して遂行できる能力もない。
 ただ惑星ブルーの中だと少し頭が良く、要領が良く、境遇に恵まれていただけ——。

 一方で、彼女の情熱には刺激を受けた。
 彼女はここでの研究に苦戦していたが、『故郷を救いたい』と話す彼女を尊敬すると同時に、できれば自分も手を貸したいと思った。
 もし彼女の研究分野に、別の方向性からアプローチができたら?

 自分の中に、何か今まで感じたことのない情熱が生まれたのを感じた。
 そして、そのとき思いついたアプローチは、確かに悪くなさそうなアイデアに思えた。

 僕は、内密にそのプロジェクトを進めた。彼女にも言えなかった。なんだか気恥ずかしかったし、人の研究分野に乗ることには後ろめたさもあったからだ。
 それに、その斬新なアプローチ方法には興奮すると同時に、不安もあった。うまくいくか確証がなかったから、成功が確定してから彼女に伝えたかったのだ。

 けれども、進めようとしていたその研究仮説が、別の研究によって打ち砕かれたのだと知ったとき、僕は深く失望した。
 そして、この情熱も借り物に過ぎず、自分の中には何もないと気づいたとき、僕の中の何かは砕け散った。

 最近の噂によると、彼女のプロジェクトはどうやらうまくいきはじめたらしい。
 僕の研究がなくても、彼女の研究は軌道に乗るんじゃないか。
 僕の手助けなど、彼女にいるのだろうか?

 夢を見ることに溺れたのはそのころだった。
 仮説の実証研究で使用していた奇物同士を組み合わせることで、〝現在の別の可能性〟を夢として覗き見れることに気づいたのだ。
 そしていつからか、何らかの可能性を探るため、というお題目で使用していた奇物を、夢の世界に溺れるために使うようになった。

 ああ、もう元には戻れないのだと、僕はどこかで理解している。
 自分の夢が叶わないのなら、情けない姿を彼女に見せるぐらいなら、ずっとここにいた方がいいんじゃないか?

「そんなことない。ヒューゴ、起きて」
 彼女の声がする。
「そんなことを考えていたのなら、はっきりと言えばいいじゃない。私は……正直、すごく嬉しかった。私もあなたの研究を手伝うことができたかもしれないのに」
 それは無理なんだ。こんな……失敗が確定したときになって、君に言えるわけがない。
「研究は失敗するものでしょう! あなたはたった一度方向性を誤ったからって、プロジェクト全体を諦めるの? 私が何度失敗したか、私の研究がどんなに長く日の目を見なかったか、あなたもよく知っているでしょう?
 ……失敗の先に結実するものがあるって、あなたも知っているはず」
 マヤ? ……そうだ、どうして、会話ができて……。

   *

 その夢の中で、ヒューゴは薄らと目に光を灯した。
「起きた!」
「ヒューゴ!」
「マヤ、それに……所長?」
 マヤが至近距離で説得する。
「ヒューゴ、一緒にこの夢から起きましょう。起きて、あなたの研究のアプローチ方法を考え直しましょうよ!」
「……君に全部知られちゃったんだね、マヤ……僕には……」
 彼はより打ちひしがれた声を出した。夢の中で彼の意思は凝り固まり、簡単には方向転換できないのかもしれない。あるいは彼女の存在が、よりショックを与えてしまったか。
 少し強制的な方法を取った方がいいか。アスターは思案し、意識して高圧的な声を出した。
「ヒューゴ、聞いて。あなたには選択肢がある。ここで自ら夢から目覚めるか、強制的に夢から目覚めさせられるか。どっちにする? さあ、選んで」
「しょ、所長⁉」
「ちなみに、私はあなたに怒っている。あなたが奇物を無断使用したこともそうだけど、あなたが秘密裏にプロジェクトを進め、放り投げたことに対してもね」
 アスターは追撃し、言い放った。
「私たち研究者が夢を思い描くのは、何のためだと思う? 決してその甘い夢に浸るためじゃない。その夢を現実にするため、そうでしょ?
 例えその夢がうまくいかず、砕け散ったとしても……少なくとも、甘い夢に浸ったまま現実を浪費するよりは、砕け散った欠片を得ることはできる。
 失敗から新たな研究の芽は生まれる。失敗の連続は私たちの研究の軌跡になる。それが輝く恒星になるか、誰の目にもとまらない石ころになるかは誰にも分からないけれど、少なくとも、夢の中で停滞してしまったら何も進まない——そうでしょ?」
 息を切って、アスターは続ける。
「宇宙ステーション『ヘルタ』は、研究で躓いたときのための支援制度もたくさん整えているわ。ほら、起きて。起きないことには何も始まらない!」
 ヒューゴは呆然としたまま、頷いた。
「分かりました、所長……分かったよ、マヤ、起きるよ……でも、どうやってここから起きれば……そもそもここは……夢じゃないのか……?」
 アスターは後ろの開拓者に目配せした。起き方が分からないのであれば、結局こうするしかない。
「大丈夫だよ」
 開拓者は自信に満ちた声を発した。
「夢から覚めたくない人を起こす方法は、ピノコニーで教わってきたから!」
「え⁉ ……うわあ‼」

   *

 開拓者のバットに直撃したヒューゴは、粒子となって消えていった。
「……彼、本当にあんなやり方で無事に起きられましたかね」
「大丈夫だと思う。彼の固い意思を打ち砕けたと思うから」
 同じくアスターもかなり不安になっていたが、開拓者は指を立ててみせたのだから、信じることにする。
「やれやれ……それじゃあ私たちも、この夢から覚めないと」
 そこでマヤは、深々とお辞儀をした。
「所長、そして銀河打者さん、本当にありがとうございます。
 私も、早く夢から目覚めたい。なんだか今すぐ目覚められそうな気がします。
 それじゃあ、また向こうで会いましょう。現実世界で、彼といろいろ話し合ってみます」
 マヤは微笑んで、ヒューゴと同じくすうっと消えていった。

   *

「……二人とも消えたね。これで解決? 宇宙ステーションっていつも何か騒動が起こってるよね」
 開拓者はバットを構えたまま、感慨を込めてつぶやいた。
「まあね。ここはミス・ヘルタの収容庫で、数千もの奇物が収容されているから、こういう事故が起こる可能性はそこらじゅうに転がっているの。『宇宙ステーションはヘルタのおもちゃ箱にすぎない』とはよく言われるけれど、ミス・ヘルタの所有物だからこそ、いつおもちゃ同士で爆発が起こるかも分からないのよ」
「確かに、模擬宇宙でもいろんな奇物を手に入れるけど、奇物の組み合わせによってすごくいいことが起こったり、悪いことが起こったりして大変」
 そういえば、と開拓者は話した。
「ヘルタはこういうことには介入しないよね。会議室に来る途中、人形に話しかけてみたんだけど、今は〝オートモード〟だって」
「あの人は、基本的には全部こっちに任せっぱなしなの。興味のないことには本当に興味がないから。この事象も、報告はするけど……おそらく興味は持たれないんじゃないかしら」
 と口にして、少々語弊があったことに気づき、アスターは付け加えた。
「だからといって、ミス・ヘルタが何も介入しないってわけじゃないのよ。危機的な状況には介入してくれる……でもそれは、ミス・ヘルタの眼差しで必要なときであって、私たちに必要なタイミングとはまた異なるわ。
 あの反物質レギオンの襲撃事件で気づいたの、上位者の介入を待っているだけではいけない。ミス・ヘルタは凡人の悲哀は気にも留めない。だからこそこの宇宙ステーションは、ここのスタッフたちは、私が組織として守らないといけないの。平時から情報収集を徹底して、早期に対処を打つのは、それが理由」
 開拓者は頷いた。
「何かあったらいつでも私を呼んでよ。絶対駆けつけるから」
「あなたたちにも開拓の旅があるでしょう? でも、ありがとう。いつもあなたには助けられてばかりね」
「気にしないで、お互い様だから。宇宙ステーションの支援がないと、私達は一日一食で生きていかなきゃいけないかもしれないし」
 開拓者は目を細めた。どこか懐かしそうだ。
「それに、宇宙ステーションに遊びに来るのは久しぶり。最近はずっと階差宇宙の方で遊んでたから、ほとんどこっちには来なくなったんだ」
「……あなた、それはミス・ヘルタの前で言わないでね。まあそれなら、模擬宇宙に関係なく、たまには宇宙ステーションに遊びに来てくれると嬉しいわ」
「もちろん。最近のショッピングのおすすめはある?」
「あら、じゃあこのあと時間が空いたら、一緒にショッピングに行きましょう!」
「やったね。……じゃあ所長様、私達もそろそろ起きよう」
「ええ。……目覚めた後、あの奇物〝世界伸縮プリズム〟を収容すれば、この件は暫定的に落ち着くはず。これでこの件が落ち着けばいいんだけど」
 そこで開拓者は自分の手元を見た。
「アスターのこともバットで打った方がいい?」
「絶対に遠慮しておくわ。……そうだ、この望遠鏡で現実世界にピントを合わせれば、早めに戻れるんじゃないかしら。この奇物、私もうまく操作できたらいいんだけど……」
 そこでアスターは〝夢渡り望遠鏡〟を覗き込み、
「あ」
 そのレンズの奥にいる誰かと目が合った気がした。
 視界がぐわりと歪む。
「……アスター? アスター⁉」
 開拓者が腕をつかんだ気がしたけれど、アスターの意識は、もう遙か遠くにいる。
 その声が耳奥に残ったまま、アスターは夢境の奥底に吸い込まれていった。

[newpage]
[chapter:*branch/? 星と望遠鏡]

 ぐわんと自身が歪むような感覚。意識が一瞬遠くなり、はっと立ち戻れば——
(……ここは、どこだろう)
 自分はこれまで、開拓者といたはずなのに、一体どこに飛ばされてしまったのだろう?
 アスターは辺りを見渡した。見覚えのある空間だ。そう、効率という物差しが全てを支配している空間・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 中央に立っているのは、もちろん見覚えのある人物だった。
「あなた……」
「久しぶり、かしら?」
 その言葉で確信した。目の前にいるのは、あの〝アスター〟だ。自分が最も忌避した未来を辿った〝アスター〟。
「私、また迷い込んだの? でも——」
「そんなはずない、って?」
 アスターは動きを止めた。
「〝あなた〟しか現実じゃないから?」
「……なんでそれを」
 アスターは思わず正面から向き直った。向こう側の〝アスター〟は、目を細めて笑っていた。
「この平行宇宙で、私達が取れる手段は同じ。私達、同じ望遠鏡を持っているでしょ」
 彼女が取り出した奇物に、アスターはもちろん見覚えがあった。
「それ……」
「ええ。こっちの世界では〝並行宇宙望遠鏡〟、あなたの世界でいえば〝夢渡り望遠鏡〟よ。私はこの奇物を通して、あなたの様子をずっと観測していた」
「あなたが私を……ここに呼び出したの?」
「ええ、私があなたをこの世界につなげたの。操作がややこしくて結構手間取ったけど。それに手順も間違えちゃったわ」
 彼女はそうひとりごちた。そして微笑む。
「心配しないで、ちょっとやりたいことがあるだけだから。……私が本当の私じゃなくて、無機生命体の見る夢演算結果にすぎないって事実は、正直驚きとしては薄かったの。もしかしたら薄々分かっていたのかもね。私たちは皆、他の世界の自分と交流できるというこの状況に疑問を抱いていた。私たちは皆、虚数の樹理論上は説明できないこの状況に疑問を抱いていた。……もちろん、とはいえ真実を受け入れられず、相応のショックを受けている私も見たけれど」
「見ていた、のね」
「そう。あなたと別れたときから、ずっとあなたのことを観測していた。そうそう、いい言葉だったわ、研究者は夢を何のために見るのか——その夢を現実にするためだと。夢に逃避するためではないと」
 そこで彼女は、暗いものを潜めた笑みを浮かべた。
「じゃあ、夢にすぎない私たちはどうなるのかしら?」
「…………」
「だから思ったの。私も、最後に自分の夢を追ってみようかな、って」
「……どういうこと?」
「もうじきこの演算結果の世界は停止してしまうと思うんだけど」
「…………?」
「だからこそ、その前に——私は私の夢を叶えるの」
 その苛烈な眼差しに、アスターは思わずぞくりと震えた。
「だから、ごめんなさい」
 彼女がこちらに近づく。
 アスターは動けない。
 彼女がこちらを抱き寄せ、耳元に口を寄せて——
 自分そっくりの声が耳元で反響する。

「〝あなた〟と私で——少し、この世界を騙してもらう」

 そして、少しの空白が訪れる。

   *

 アスターは目を開けた。ここは医務室なのだろう、身体がやわらかいシーツの上に横たわっている。
「所長!」
「お目覚めですか」
「ええ……ああ……よかった。成功したのね」
 あなたは微笑んだ。そう、成功した。あなたは自身の望みを成し遂げることができた。
「よかった、アスター。思ったより長い間、目を覚まさなかったから」
 〝開拓者〟が声をかけてくる。心なしか心配そうなその声に、わざと軽く乗った。
「もう! うまくいったからよかったけど……今後は奇物の取り扱いには気をつけてよね。ここは模擬宇宙じゃないんだから」
「分かった。……ねえ、大丈夫? 先に夢の中から消えたのに、起きるのが遅かったから」
「ふふ、心配かけちゃったわね。大丈夫、なんともないわ。……あのとき〝夢渡り望遠鏡〟を覗いちゃったでしょ、そのせいで途中、変な夢に迷い込んだみたい」
「そう?」
「ええ、そうよ」
 あなたは安心させるように微笑んだ。こちらでは性別が逆なのだな、と思いながら。
「お嬢様! 大丈夫ですか?」
「……アーラン。大丈夫よ、私はなんともないわ」
「そうですか。本当に良かったです、お嬢様が倒れたとき、心臓が飛び出るかと……。
 ああ、すみません、状況を報告します。ヒューゴが起きました。マヤも同様です。今彼は精密検査中で、このあと詳しく事情聴取されることでしょう。
 彼が無事起きたため、応物課は〝世界伸縮プリズム〟の収容準備を進めています」
「……ええ、もちろん当初の手筈通りに進めて。でも万が一がないように、全員が起きていることをちゃんと確認してからね」
「かしこまりました」
 そう礼をして去っていく〝アーラン〟を、あなたは長い間見送った。涙が流れないよう、目を見開かなければなかった。なぜならあなたの世界では、もう〝アーラン〟は傍にいないから。
(……違う。感傷に浸っている場合じゃない。私には、私のやるべきことがある)
 近くにいたスタッフに、少し離席すると声をかける。
 あなたは宇宙ステーションを早足で駆け抜け、主制御部に辿り着く。
 〝アスター〟の記憶にある通りのミス・ヘルタのオフィスは、あなたには少しまばゆく、知恵への畏怖を引き起こさせた。
 あなたは少し圧倒されたが、それでも歩みを止めることはない。
 一歩、また一歩と歩みを進めたところで、
 そこにいた人形の顔がぐるりとこちらを向いて、瞳に光が灯った。

「あなた、アスターじゃないでしょ」

   *

 カラン、と何かが床に落ちた音で、アスターは我に返った。
「え……」
 先ほどまで彼女が立っていた場所には、もう誰もいない。
 ただ、床に転がった望遠鏡一つと、アスター一人が取り残されているのみ。
 アスターは茫然自失とした。
「え⁉ どういうこと……」
 並行世界の相手がいなくなるなんて、初めてのことだ。
(そういえば)
 初めて会話したアスターとの内容を思い返す。
(並行世界と並行世界で、入れ替わることができるって彼女は言っていた……)

「もしかして……入れ替わった?」

 主が不在の部屋は、沈黙で返した。

   *

「あなた、アスターじゃないでしょ。何してるの?」
 アスターは微笑んだ。
「私もアスターですよ、ミス・ヘルタ。それでも、ええ、初めてお会いします」
「私が知っているアスターじゃないってことは、あなたはアスターじゃないってこと」
 ヘルタはそんな言い分は気にしなかった。
「自我が肥大したサンプルは早めに廃棄した方がいい。演算結果に予想外の影響を及ぼさないためにね。遅かれ早かれあなたはそうなる」
「あなたの手によって?」
「そう」
 ヘルタは何のためらいもなく頷いた。
「ちょっとこの奇物で実験したいことができたんだ。だから、あなたにここにいられると困るの。何の用? 何らかの方法で仮想世界から抜け出してきたんだろうけど……もし、そのままここ現実世界に居座ろうとしているなら、私はあなたをここで消去するよ」
「いえ、そんな大それたことをしようとしているわけではありません」
 アスターは素早く否定した。
「もちろん、元々ここにいた〝私〟に全て返すつもりです。この身体は、一時的に借りているに過ぎません。ただ、ひとつ……こちらで見たいものがあったんです」
 そこでアスターは微笑した。
「でもその目的は、ほとんど達成されました。私はただ、あなたにお会いしたかっただけですから」
「ふうん。なんで?」
「あなたはこの世界の〝私〟の運命の分岐点でもあり、私がお目にかかれなかった方でもありますから」
「ふうん」
 つまらなさそうにヘルタは息を吐いた。
「用事はそれだけ? ならもう帰って」そして続ける、「もしあなたの運命がそう分岐した理由を探そうとしているのなら、そんなものはないよ。あなたのいた世界群は、全てくだらない機械が勝手な判断で分岐させたもので、その根拠に論理的正当性はないから」
「……そうなんですね」
 アスターは噛み締めるようにうつむいた。
「私は、ただ……この世界の〝アスター〟と同じ運命を歩む可能性が私にもあったのか、それを知りたかったのです」
「それは無意味な仮定だと思う」天才は告げる。「この世界のアスターはあの一人だけ、つまり、あのアスターが歩んでいる運命しか存在しないはず。だから、あなたが同じアスターだったら、あなたは彼女と全く同じ運命を辿ったはずだよ……これ、答えになってる?」
 そこでヘルタは少し自嘲するように鼻を鳴らした。
「まあ、私達もそうかもしれないけど。ヌースの演算通りの道を、私達は辿っているんだろうから」
「ああ……。星神アイオーンと一介の奇物を比較するのは、さすがに気が引けますね」
 アスターはそう苦笑した。少しほどけたような笑みだった。
「ミス・ヘルタ、最後に質問させてください。私はあなたにとって面白いですか?」
「そんなに面白くはないかな」
 ヘルタは即座に言い切った。
「演算結果が現実に抜け出したっていう点では少し興味深いサンプルデータ……だけど、別にそんなに珍しいわけじゃない」
 そこでヘルタは、思い出したように付け加える。
「ああ、でもそうだ、あなたとアスターのやりとりは結構面白かったけど」
「……見られていたのですね」
「この機械は私の手中にあったからね」
「……分かりました」
 アスターは微笑み、目を閉じた。
「ありがとうございます、ミス・ヘルタ。もし私という個体、あなたの言う一つの計算結果がここで消え去るとしても……私はいい収穫を手にしました。もう思い残すことは、ほとんどありません」
「随分……よく分からないものを欲しがるんだね。理解できない」
 ヘルタは腰に手を当てた。
「さて、じゃあ、あなたは私が追い出した方がいい?」
「いいえ、その必要はありません、ミス・ヘルタ」
 アスターは微笑んで首を振った。
「向こうの〝私〟が、きっとなんとかするでしょうから。それまでの束の間を、どうかお見逃しください、ミス・ヘルタ。私は、この宇宙ステーションをあちこち見て回りたいんです。あのアスターは、ここを愛していましたから」
 ヘルタは数秒考え、頷いた。
「分かった。いいよ、待ってあげる」

   *

「どうしよう……」
 アスターは蒼白になったまま、頭を抱えた。
「どうにかして、ここから……元の世界に戻らないと」
 床に落ちた奇物が目に入る。——〝平行宇宙望遠鏡〟だ。
「これを使えば、もしかしたら……」
 アスターは息を飲み、その望遠鏡を覗き込む。
 一瞬で、無数の夢がアスターを通り過ぎ、その膨大な情報量に目眩がしそうになった。
『この望遠鏡を合わせるのには、経験とコツがいるの』
 この場に自分を取り残したアスターが、かつてそんなことを言っていたことを思い出す。
『自分が見たい夢を思い浮かべればいいんだよ。そうすれば、見たい夢の範囲にピントが合うはずだから』
 開拓者が助言してくれた内容を思い出す。
(……私が帰りたいと望むのは、私の現実)
 視界を通り過ぎる膨大な情報をあえて無視して、意識を集中させた。
(大丈夫。なんとかやれるはず。別の〝私〟が使えていたんだから。
 それに、知っている。望遠鏡の扱い方は、誰よりも、私がよく)

 やがて、望遠鏡の中の無数の天体世界がアスターを突き刺し、そして——

「見つけた——多分——ここ!」
 ピントをその世界に合わせた瞬間、視界は真っ白に染まった。

   *

 再び目の前に〝私〟がいる。
 アスターは少しよろめきながら、彼女を睨み、低い声で問う。
「……あなた、なんのつもり」
「ごめんなさい、あなたをどうこうするつもりはなかったの」
 彼女はおかしそうに微笑んだ。
「この世界はとある奇物の演算結果だった——そして、天才の意向で、もうすぐこの世界は止まってしまう。でも私にはその前に、やりたいことがあったの」
「それは、私と入れ替わること?」
「いいえ。私はあなたと入れ替わりたかったわけじゃない」
 彼女は首を振った。
「不安をかけてしまったことは謝るわ——でも、私はただ見たかっただけだもの」
「……何を?」
「あなたの世界を、かしら」
 彼女はそう述べた。
「私は自分の望みを叶えられなかったアスターだから、あなたがどんなふうに望みを叶えたのか知りたかったの。ミス・ヘルタに会えれば、私もあなたの運命を辿れたのか知りたかった。だから、その望み執着だけは叶える手段が残されているって結論に至った途端——」
 アスターは、最も意に沿わない結末を辿り、最も強い渇望を持った自分の瞳を見た。
「その望みの実現のために、私の残り全てを費やすことができたの。ありがとう、今私は人生で一番満足している。もう心残りはない」
 彼女は満足そうに笑った。
 烈火のごとく燃え上がっていたその瞳は、今や静止した水面のように凪いでいる。

「私はただ、最後に……運命に抗ってみたかったのかも」
 彼女はそうつぶやいた。

「じゃあね、〝私〟。あなたの世界を見せてくれてありがとう。もう道に迷わないでね」

 同時刻、現実世界で、ミス・ヘルタがリセットボタンを押した。
 〝可能性計算機〟が演算を途中終了し、シャットダウンしていく。
 それと同時に、無数の夢並行世界がその時点で時を止め、ログに保存され、そして——

 計算結果機械の夢にすぎない〝アスター〟の身体が崩れていき、粒子となって消滅した。

 望遠鏡がカランと落ちて、アスターはそれを拾い上げた。
 遠い遠い星を、遠い遠い可能性を覗くための装置。

「……ええ。私は私の望む運命を追ってみせる」

 だから、今こそ夢から目覚めよう。

[newpage]
[chapter:*epilogue/ 人形は並行世界の夢を見るか?]

 宇宙ステーション「ヘルタ」の収容部分、ヘルタのコレクションルーム。
 珍しく、そこにミス・ヘルタはいた。
「やっぱり、思った通りだった」
 ヘルタは手元の奇物——〝可能性計算機〟を弄ぶ。
 宇宙ステーションで先ほど起きた事象を、既にヘルタは知っている。
 一見何のしがらみもない自由な学術空間に見える宇宙ステーション「ヘルタ」は、常に管理層によって厳重に監視されている。加えてその真の主も、いつどこで何を見ているか分からない。何せ彼女の人形は数百体はあり、監視体制の構築にはヘルタ自身も噛んでいるのだから。
「複数の奇物の掛け合わせによる連鎖的な暴走。うん、予想通り」
『宇宙ステーションで何かトラブルが?』
 落ち着きのある声が聞こえた。ミス・ルアン・メェイだ。
「うん。この事象はなかなか面白かった。奇物を二つ掛け合わせることで、並行演算に別の可能性をもたらせる——次の模擬宇宙の開発に役に立つかもしれないよ」
 元々、〝可能性計算機〟に膨大な量の現実データに入れ、演算させっぱなしにしていたのはヘルタだ。模擬宇宙の開発、つまり模擬星神の世界を再現する際に、似たようなシミュレーション機能を持つこの奇物がどのような演算をするのか、知りたかったためだ。
 結果は不合格。模擬宇宙用の高精度インプットデータを入れ、長時間計算させっぱなしにしたものの、各世界線の出力精度は悪かった。各世界の分岐にいたっては、そもそも模擬宇宙には必要ない。ヘルタ達が必要としているのは、唯一絶対の結果だから。
 ただし、今回の事象から新たな着想ができた。演算結果同士をつなぎ合わせて世界を増幅させるというアイデアは悪くないかもしれない。
『それはなによりです』
 ミスター・スクリューガムも反応した。
『しかし、放っておいてもよいのですか?』
「あの程度のことなら、あとはアスターがどうにかするよ。私が介入する必要はない」
 天才達は道を歩むうえで、俗世のことは滅多に気にかけない。
 そんな天才達の中では、ミス・ヘルタはまだ親しみやすい方だ。彼女は宇宙ステーション「ヘルタ」を研究用に解放し、自身の奇物コレクションを気前よく研究用に貸し出している。けれどもそんな彼女も、宇宙ステーションの実務的な管理までは行わない。天才達にとって最も限られた資源は時間で、わざわざそんなことに使っていられないからだ。
 そう、天才にとって最も限られた資源は時間。
 だからこそヘルタは天才以外とも関わり、交流を行う。交流が好きだからではない、より速く深くまで知恵を探求するためだ。できる限り速く深く、自身の持ち時間で研究を推し進め、世界の謎を少しでも多く解き明かすためだ。
 そのために必要なのは、圧倒的な知恵だけじゃない。諸雑務の管理、膨大な資金、そして研究への理解を得ること。知恵の探求以外の側面も必ず必要になる。
 その点アスターは、かなりの部分を一人でこなしてくれている。

 ヘルタ人形も夢を見る。
 だからヘルタも、夢の中でいくつかの演算結果並行世界を観測した。
「うん、やっぱりいい拾いものをした。アスターがいない世界の私は、いろいろと面倒そうだったし」
 彼女は研究に対して余計な口出しをしてこない。彼女自身も研究者だから。
 管理業務も、カンパニーの名家出身なだけあって隙なくこなすことができる。
 しかも彼女は金銭的な問題を、ほぼすべて解決してくれる——こんな人物は、カンパニー中を探してもほぼ存在しないだろう。

   *

「それに、あれはちょっと面白かった。まあ、それだけだけど」
 ヘルタはアスターと〝アスター〟のやりとりを思い出し、口角を上げた。